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2013年11月25日 援蒋ルートの鉄道を行く

 

  午前5時、車体を軋ませながら鉄道は動き出した。開け放たれた窓からは、冷たい山の朝の空気が入り込んでくる。まだ外は完全な闇の中だ。列車が少しずつ速 度を上げると、それに抗うかのように、車体の揺れが激しさを増していく。横転の危険が脳裏をかすめるほどの横揺れとなると、さすがに速度が下がり始める。

  線路上に伸び放題の木々の枝葉に叩かれながら鉄道は進む。車内はホコリと落ち葉で汚らしかったが、毎日このようなルートを運行するのでは、それも当然だろ う。やがて東の空が白み始めた。しかし、視界は白い靄に厚く遮られたままだ。わずかに山や木々の影が黒くぼんやりと浮かんでいる。
 ラーショーか らマンダレーへ向かう鉄道に乗った。この路線の運行頻度は、1日に上り下りがそれぞれ1本ずつ。どちらも早朝、日が上る前に出発し、その日の夜、終点に到 着することになっている。ただし、遅延は常態化している。先刻のように速度を上げられない状況を見れば、それも止む無しと思う。
 午前4時半、 ラーショー駅で切符を買うと、外国人のためかアッパークラスの席を指定された。通常車両は木製のシートだが、こちらには大型のリクライニングシートが据え 付けられている。アッパークラスを利用する地元客はさほど多くない。出発前に乗りこんできた賑やかな一家は、アッパークラスの切符を持っておらず、通常車 両に追い出されていった。するともう、数えるほどしか客がいない。

シャン族には不可欠の交通手段

 この鉄道の歴史は英領植民地時代に遡る。1903年にマンダレーとシャン北部各地を結ぶ鉄道として開通した。ほぼ全区間が山中を通過しており、世界で2番目の高さを誇るゴッテイ鉄橋もこの路線上に架設されている。保線作業の困難さが容易に想像できる路線だ。
  シャン北部に住む少数民族、シャン族の人々にとって、この鉄道は都会へのアクセス路として重要な意味を持っていた。マンダレーで最も名高いマハームニ大仏 の周辺には、シャンプェ(シャン族の市)、シャンズゥ(シャン族の集落)といった街区名が今も残っている。その昔、植民地時代にシャンからの物産を取引す る中心地であったり、シャン族の定住がみられた場所だ。現在のように道路交通網が整備される以前は、不可欠の交通手段だったはずである。
 この鉄 道と日本との歴史的な関係も決して浅くはない。日中戦争下、1938年に完成した中国への輸送路である「援蒋ルート」は、まさにこの鉄道が根幹部分を担っ ていた。ヤンゴンからラーショーへ至る鉄道、そしてラーショー以降は昆明まで続く道路が整備され、日本軍はこのルートを遮断するため、ビルマへの軍事行動 を開始した。
 今、鉄道から見える光景も、当時とさほど変わっていないだろう。鉄道は結局定刻より20分遅れて、今回の下車地であるティーボー駅に到着した。私が下りるのと入れ替わりに、欧米人観光客の一団が乗りこみ、マンダレーへと向かって行った。

上智大学大学院 石川和雅

 

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