『強い円』を育てて基軸通貨に

『強い円』を育てて基軸通貨に

日本銀行 前総裁 速水 優 氏



――この度は、「強い円 強い経済」(東洋経済新報社刊)という大変に素晴らしい本を出版された…。


速水 私は一九二五年に生まれて、終戦の年にちょうど二十歳で軍隊から復員し、大学二年にて社会に出た。それから今まで約六十年間働いてきた。まあ良く働いてきたなと自分でも思うが、その間に得ることができた体験を交えて、戦後、生き残った人びとの大変な努力によって日本経済が急速に回復し、円が三倍以上強くなった課程を書いた。そして、それは誠に奇跡的な成長であり、戦後の焼け野原からここまで築き上げてきた苦労を顧みると、そうしてせっかく強くした円を介入で大量に売るという経済政策はいかがなものかということだ。強い経済は強い通貨をもたらし、強い通貨は経済を強くする。その逆を行く大量の円安誘導は誤りであるということを明確に伝えたいという思いでまとめたのが本書だ。

――「強い通貨、強い経済」、まったくその通りだ。世界広しといえども、自国通貨をこんなに売却している国は日本以外には無い…。


速水 私は日銀総裁在任中から、外国人が日本に来ると、戦後からこれまでの円・ドル相場、経常収支、対外純資産残高の推移表を見せて、日本経済の底力をアピールしてきた。例えば、円は一ドル=三六〇円から始まって、その後、一貫して強くなり、今は三倍以上に値が上がっている。それだけ購買力が増しているわけで、対ドルでは昔の三倍以上の物が買える状況となっている。同時に、昔から円や円資産をもっている内外の人は、その分喜んでいるはずだ。しかし、ここ二年は失業対策だといって、輸出振興ばかり大切にして財務省も政治家も円売り介入を積極的に行い、これを支持している。

――日本をわざと貧乏にしている…。


速水 円安にすれば、当面は輸出が増えるかもしれないが、その半面では輸入コストは上がるし、それになによりも円を持っている内外の人の購買力が減るわけだから、これは不幸であることの何物でもない。日本の円は、ニクソンショックや一次、二次のオイルショックなどいろいろなことを乗り越えて、一貫して強くなっているが、その背景には経常収支の大幅な黒字がある。対名目GDP比率でみると、八〇年以降は平均して三%程度の黒字だが、逆に米国は三%程度の赤字が続いている。

――ドル安・円高は当然の流れだ…。


速水 しかも我われ日本銀行は、過去に大量のドルを抱えて大変な損をした。一九七一年のニクソンショックでドルが急落したときに、日本銀行は外貨準備の大部分をドルで保有していたため、四千五百億円あまりの為替差損が生じてしまった。この金額は当時としては大変な金額で、日銀が明治時代から積み立ててきた積立金を全部使ってしまうほどの規模であったため、その年の政府への納付金も納められなかったという大変に痛い経験をしている。

――結局、その時の損は国民の負担となっている…。


速水 その時の痛い経験を知っている人が少なくなっているせいもあろうが、今、同じようなことが起こる可能性が出てきている。三十数兆円の円売り介入を実施して、それがすべてドル建て債で保有されており、一ドル=一一〇〜一一五円ぐらいの為替レートであるため、万が一ドルが一〇〇円を大きく下回ってきた場合、大変な損を被ることになる。しかも、今は大きな財政赤字を抱えているため、その損は結局、国民の大きな負担となる。こうしたことを何人も心配しないのは本当におかしい。とりわけ、政治家が為替に無関心であることが大きな問題だ。

――その通りだ…。


速水 民主党の仙石政調会長や、鳩山元党首はかなり理解されており、また円(まどか)参議院議員は国会答弁で取り上げていただいて、その時にも、私は円安誘導は国が国を売ることと同じであるということをお話ししたことがある。また、メガバンクの数が急速に減って、大国と同様に数行になってきたことで分かるように、これからはグローバリゼーションにより自由競争を市場中心に発展していき、やがて世界が一つになっていこうという時に、日本だけが介入をやっていくことが良いことであるはずがない。

――相変わらず自分勝手な国だと思われている…。


速水 私の長い経験からすると、何事も市場に任せておくのが一番だ。特に外為市場は市場が大きいことから、よほどの事がない限り一方向に大きく動くことはない。売りすぎれば必ず買い戻されるというのが外為市場だ。財務相などがファンダメンタルズに合わせるためにドル買い介入をしていると言っているが、これは違う。ファンダメンタルズという言葉でごまかしているというのが私の見方だ。また、米国にとっても円安誘導によってドルが強くなれば、その分経常赤字が増えることから、決して好ましいことではない。

――それに、日本政府は巨額な財政赤字の上に、政府短期証券という借金を重ねて米国債を買っている…。


速水 〇三年から〇四年にかけて行った、大量の円売り・ドル買い介入によって膨らんだ外為特会による政府短期証券の発行は八十五兆円に膨らんでいる。そして、それはほぼ全額米国の政府短期証券で運用されていることから、日本政府は自らが六百兆円の借金、国債発行をしているうえに、さらに米国政府に巨額のファイナンスをしてあげていることになる。そうしたお金があるのなら、日本国内の需要を増すべきだと考えるのは当然のことだろう。また、米国債と日本の短期国債の金利差による運用益をもって介入を正当化する向きもあるが、それは、ドルが下落すればその運用益は一機に消し飛んでしまうことを理解していない意見だ。

――おっしゃる通りだ…。


速水 政府が外為政策について、強い円を前面に打ち出して、しっかりした姿勢をとれば、円はもっと国際化して海外から自然に資金が流入してくる。これは、米国が良い例で、ずいぶんと海外にドル債を買ってもらっている。米国債の四割から五割が外国政府を含めた海外投資家が買っている。これに対し、日本国債の海外投資家の保有分はたかだか二〜三%だ。円が強くなり、国際通貨としての価値が理解されれば、日本国債を買いたいと海外からの買いが自然に入ってくる。そういったことも政府は全然考えていない。

――政府は今、日本国債を海外投資家に持っていてもらおうとIR活動を開始したが、一方で円売り介入をするのは大いに矛盾する…。


速水 その通りだ。同時に円をもっと決済に使うようにすべきだろう。そうなると、日本の円債市場や円の短期金融市場も国際化していく。しかし、なぜかこうしたことに積極的ではない。理由はというと、私は商社にいたから解るのだが、ドル決済にして円に交換するときの為替手数料が魅力的な収入源であるためだ。その結果、これだけの貿易立国でありながら、自国通貨の決済比率は五割以下のままとなっている。この水準自体、世界的にみても特異な水準で、それゆえに貿易に為替変動リスクがつきまとってしまう。

――そしてその結果、介入するという悪循環に…。


速水 円が強くて使い勝手の良い通貨となれば、皆もっと円を使って決済や投資をして、国際化していくということで良い通貨になっていく。そのように円を育てていかなければいけない。通貨の信認において勝てるのは強い通貨であり、それによって強い経済も生まれる。これはなによりも戦後の日本経済が証明してきた実績ではないか。(了)