ルール・オブ・ローの時代に

ルール・オブ・ローの時代に

あさひ・狛法律事務所 弁護士 志賀 櫻 氏



――官僚を辞めて民間の弁護士となった現在の状況は。

志賀 去年の四月に入った弁護士研修所を、今年の十月に卒業したばかりだ。まだ弁護士として二カ月しか経っていないが、いきなり戦場に放り込まれ、考える間もなくがむしゃらに毎日を過ごしている状態だ。

――マインド面で変化したところは?

志賀 本当に弁護士というのはすごい仕事だと思う。そんな中で思ったことは、役人の延長で仕事をするのはつまらない。全くルーキーとして一からやっていこうと思った。ただ、そこには二つの難点があった。ひとつには、この仕事が若い連中の体力勝負だということだ。凄まじい仕事量で、二十四時間大体みんな仕事をしている。もう一つは、前の経歴に関係して仕事が申し込まれる部分があるということだ。こちらがルーキーのつもりでいても、全くのルーキーとしては見てくれない。もちろんそれは当然であり、この年になってルーキーと同じように始めて同じように仕事が出来るかといったら、逆にそれは思い上がりだ。そこは謙虚に、キャリアを生かしてやっていこうと思っている。

――以前は岐阜県警本部長での勤務経歴をお持ちだが、警察関連の仕事は?

志賀 今のところはない。米国であれば刑事専門の弁護士事務所はたくさんあるが、日本では、刑事を扱うという所はあっても、刑事を専門にしている弁護士事務所はほとんどない。

――国選弁護人も、ボランティアでなければ成り立たないという…。

志賀 国選弁護人の報酬は書類のコピー代くらいにしかならないとも聞く。当然、それだけでは成り立たないだろう。

――今、扱っているフィールドは?

志賀 税と金融とインターナショナルだ。なんといってもOECDの租税委員会の代表、IOSCO(証券監督者国際機構)、IAIS(国際保険監督者会合)の代表、そしてバーゼル銀行監督委員会での日本代表を務めた弁護士は日本で初めてだろう。過去の経験を生かし、今後もこの分野にしっかりと力を注いでいく心づもりだ。

――税は日本の弁護士がほとんど扱っていない世界だと聞くが…。 

志賀 日本は租税法に取り組む弁護士の数が非常に少ない。ところが米国のローファームに行くと、その中でタックス・アトーニーと言われる租税専門の弁護士が一〇%〜三〇%はいる。租税法の領域は米国の弁護士にとって非常に大きな活躍の場になっているが、日本においてはどういうわけだか未開の領域だ。

――日本の金融や税制はグローバル化してきており、税金の問題もそれに伴ってどんどん複雑になってきている。今後、活躍の場も広がっていくだろう。

志賀 例えば、グローバル化の一つである移転価格税制においては、いわゆる課税権がどちらにあるかといった国同士のけんかのようなものだ。それとは別に、これだけ国際化すると、税制の違いによって企業がどこに拠点を置くかということを考え、変えるようになる。ここで税制の競争が起こる。一方で、金融分野では現在のコンピューター社会でルールがどんどん国際化している。会計基準などが典型的な例だ。

――来年から会社法も変わり、新たにいろいろな仕組みがグローバル化されることになるが、法律解釈も難しくなっていくのでは?

志賀 会社法においては、まだ規則がパブリックコメントに出されている段階だが、すでにいろいろな本が出回っている。実態には合ってくるが、一方で、非常に複雑になり、実際、大変になるだろう。

――税、金融、インターナショナルというフィールドに居て、現在の世の中を見て感じることは?

志賀 今の日本国は、フェアなルールに従って、法律で物事を判断していこうという流れに移りつつある。昔は行政が判断して物事を動かしていたが、今は法の支配の時代だ。もともと私はマクロ的な金融に携わっていた人間だが、そんな中で私の周りにいる人たちを見て感じたことは、ロンドンやニューヨークで勤務していた経験のある人間は、どちらかというとアングロサクソン的な金融に対する考え方の濃度が強いということだ。

――確かに、今の日本はアングロサクソン系金融思考に引っ張られている。

志賀 結局、国際化して国境での保護がなくなると、アングロサクソン的な一番荒っぽいやり方をしている方向に従わなくてはならなくなるということではないか、と感じている。

――今の社会の仕組みをどう思うか?

志賀 そのルール・オブ・ローと言う考え方が日本国にも進出してきているようだ。そして、それに併せて国の仕組みや人々の意識も変えていかなくてはならない状況だろう。

――まだまだ霞が関の官僚中心の様な気もするが…。

志賀 確かにそういう部分もあるだろう。行政法の世界でも、頭はドイツ法的で、国民に比べ国家が優位というような部分がある。英米法であれば、司法の場では国家と有権者は対等だ。

――日本では行政訴訟等もまだまだ少ない。訴訟を起こしても勝った例が少ないという事も起因していると思われるが、その流れも変わってくるのか?

志賀 行政訴訟においても、やっても負けるだけだと思って提起していなかった部分が掘り起こされてくるかもしれない。税でも金融でも同じだろう。行政のさじ加減で計っていた世界が、法律で判断してどうなのかといった世界に、急速に変わっていくような気がする。

――行政としても、一度決めたことに対して後から判断の間違いを指摘されると、後では責任がとれなくなり、取り返しのつかない状況になってしまう。法律で決められた事しか出来ないように責任回避していかないと難しいということか…。

志賀 そういう風にしていくことによって、グローバルスタンダードに追いついていかなければならない。あとは、裁判所がそういった切り替えについていけるかどうかだ。まだまだ司法はドイツ法的に行政優位という立場にあるようだ。弁護士は、海外や民間を色々見ていて大分切り替わってきているが、裁判所の方はなかなか切り替わりにくい。しかし、やはり国際化ということで、いろいろと切り開かれてきている流れにあることは間違いない。

――金融庁や証券取引等監視委員会の方針は、行政判断よりも法律が先にありきで運営されつつあるが、国の収入源である税の世界に対して、どこまでそうなるかは非常に難しいところだ。

志賀 租税法律主義と租税公平主義は必ずぶつかるところだ。そこは裁判所に判断してもらうと良い。ストックオプションをどうするかといった問題に対しても、第一審ではバラバラの結論だったが、結局、最高裁まであがって統一的な解釈が出た。今後においても、物事を決める際の一番の決め手になっていくのは、裁判所による判例法理だろう。

――租税訴訟や行政訴訟も変わってくると…。

志賀 以前、民事三部に藤山裁判長という人物がいたが、この藤山氏の時代には、大きな租税訴訟を含めた行政訴訟一般において国敗訴の判決を数多く下していた。その藤山裁判官が辞めて、藤山判決が控訴審で高裁段階においてひっくり返されるということが結構続いたが、あいはからんや、高裁でひっくり返ったその判決が最高裁判所で再び、藤山判決を支持するケースが増えている。そういう面から見ると、裁判所は変わりつつあるのだろう。