危うい日本のコーポレート・ガバナンス

危うい日本のコーポレート・ガバナンス

グローバル経営研究所 代表取締役 田村 達也 氏



――企業・市場に対する規制の行く末は…

田村 市場は常に新しいものを生み出しており、それをまとめるルールは常に整備されなければいけない。また、違法行為はしっかり摘発する必要がある。ライブドアや村上ファンドに見られるように、投資家が被害を受けるような事件を再発させないような法律環境は必要だ。こういった整備が進んでいること自体は好ましいことだが、問題の一つは法整備が非常に細かくなってきて、一つ一つに真剣に対応しようとする企業にとっての負担が大きくなってきていることだ。大規模公開会社のように多くの個人投資家が投資する企業に対するルールは、投資家保護の観点から充分整備されなければいけない。しかし、日本では大企業も中小企業もほぼ同様のルールが適用され、中小企業には特に負担が大きい。そういったルールは誰の利益を守るために必要なのかがはっきりしないまま、広範な企業でコンサルタントや専門会社の手を借りなければいけない業務が発生し、企業支出を増やしている。こういった状況は米国でも大きな問題となっている。上場会社に対しての負担が大きくなり上場の忌避、上場企業の非上場化といった動きや、米国内で上場せずに規制の緩やかな他国で上場しようという動きにも繋がっている。開示ルールは必要な流れかもしれないが、やりすぎではないかという批判が企業家の中にもかなりある。つい先日の報道では米財務長官・ポールソンもバランスを考えなくてはいけない、との発言をしていると伝えられている。規制過多が無いかどうかを見直すような動きが日本の中にもあってしかるべきだろう。

――経営者への監視ルールもまた見直されなければいけない…

田村 コーポレート・ガバナンス向上のため会社法の見直しが平成13年頃から始まり、これを受けて委員会等設置会社などが現れてきた。その頃議論していたコーポレート・ガバナンスというのは、経営者による会社の私物化を防ぐための株主による経営の監督、これを代行するのが取締役会という考え方だ。平成14年から実施された委員会等設置会社は株主の立場を強化し、取締役会による経営監督を実現するというためのものだった。日本企業はその当時業績が非常に悪く、会社によっては業績不振が長期化しているのに経営者が居直っているという状況も起きており、これを受けて経営者を入れ替えるような仕組みが必要だという議論は、日本にとって非常に受け入れやすかった。しかしその後、日本の企業業績は復活をたどり、取締役会による経営のチェックというコンセプトに経営者層が総じて否定的だったこともあって、本来のガバナンスの意味はうやむやにされてしまった。そうして現在コーポレート・ガバナンスといえば、経営陣による社内の掌握、法令順守、粉飾決算をしない、そういった内部統制やコンプライアンスといった類のものとすり替わってしまった。肝心の経営不振の企業経営の改善、業績不振の会社に対する買収を通じた経営陣の刷新、といった株主による経営の規律向上が見失われてしまっている。トヨタやキヤノンなどは非常に業績のよい会社で、特にガバナンスがどうといった取組みをしているわけではないが、結果を出している。だが業績が相当不振な会社も例えばキヤノンが社外取締役を入れていない、という事例などを引き合いに出して社外取締役は不要だと主張している。こうした状況を反映して、委員会設置会社が上場会社に占めるのはわずか60社程度だ。経営者全般、経営者団体は指名委員会・報酬委員会により社外取締役が人事・報酬に対する権限を持つことに根強い反発を示している。

――依然として能力の低い経営者が居座ることが出来る…

田村 日本企業の収益率は欧米に比べて低い。もっとマネジメントを強化して企業の力を発揮させる経営を行うことが対処策となる。しかし、それを可能とするよう経営者を選び、経営者を監督するシステムとしてのコーポレート・ガバナンス論が日本では受け入れられていない。米企業の収益率というのは日本の倍で、その背景にあるのは徹底的に資源を有効活用するといった姿勢だ。こういった事実が日米の収益力、成長率の差に厳然と現れてくる。日本はドラスティックな競争を嫌がる節がある、ゆとり教育、ゆとり経営といった具合だ。日本の国の仕組みは野口悠紀雄氏のいう1940年体制から脱していないのだろう。国は各産業を組織して、企業間競争があまり行われないシステムを作り上げてしまった。経産省と経団連が協力して経営者が株主の利益をあまり重視しなくてよい仕組みを作り上げている。マスメディアも資本主義的ではなく、M&Aに対する報道も情緒的であったりもしている状況だ。

――M&Aに対する防衛策の充実を叫ぶ声も多い…

田村 M&Aは、力のある企業が経営不振、伸び悩みの会社を取り込んで新たな経営体制の下、元来の企業価値を高める効果をもつものだ。こういった社外からの圧力が経営者のモラルを保つことになる。また企業価値を高めることが出来ない経営者はその任を退くことが求められる。ところが経営者自身が対抗手段を講じ、第三者割り当てなどを活用して自らの望む相手を株主とする、といったことが進められると、結局は経営者と特別な関係を持たない一般株主の利益を阻害してしまう。一般株主にしてみれば経営陣に求めるのは企業価値や株価の向上であり、誰かがその企業を買収したことで企業価値が上がるのであれば、本来は歓迎すべきことだ。このあたりの市場のルールを阻害してしまうと、日本の株式市場はM&Aを実現する場ではなくなってしまう。潜在力のある企業の経営権を買い取ることが出来ない株式市場ではその企業の株価の上昇にも限界が出る。これは株主にとってもマイナスであるし、そういった古い体質の企業がいつまでも日本に残ってしまうわけだ。そうなれば優秀な技術をもった人材、それを抱える工場、といった日本の資産が有効に活用されなくなる。経営者が変わればもっとよい企業になるという例は山ほどある。そういう意味で、コーポレート・ガバナンス即ち社外取締役による経営陣の監視が浸透しないと結果的には日本社会は経営者の保身が認められ、甘やかされる結果になるのではないか。また、従業員や取引先、地域経済にとっても、長期的にはよりよい経営に変わることのメリットは大きいはずなのだが、こういった変化が起こらないことになる。

――日本の土壌に市場原理が息づかない…

田村 会社は株主のものだ、という出発点が日本では欠けている。日本において会社は、従業員を雇い、製品やサービスを作り出すことで社会に貢献するためのもの、といった考えが強い。会社は株主の利益を生むためのものというような考えは非常に「品が悪い」とされている。資産を持つ個人が株を持つということは経済の基本的な枠組みなのだが、日本では株式投資は投機目的や、インサイダー行為など後ろ暗いものと一体に考えられる風潮もあった。こういう状況が続くと日本企業のパフォーマンスが高まらない、何故ならば企業間の競争原理、経営者間の実力競争原理が十分働かないからだ。経営力に劣り、資源の無駄遣いをする経営者が生き残っていくということは経済全体に対して非常にマイナスだ。グローバル競争に生き残ることの出来る企業をつくれるような仕組みに、経営者選出・退出のシステムを改善していかなければいけない。やはりパフォーマンスの悪い企業は買収の対象となるよう株式市場を通じるM&Aが活発となる必要があると思う。また社外取締役は経営監督のために取締役会に参加しているはずだから、適切でない経営者に対してしっかりと進退の諫言を行うべきだ。