インドは日本経済の試金石

インドは日本経済の試金石

早稲田大学教授 榊原 英資 氏


――インドで活発なIT産業が、日本のインド進出のきっかけとなった印象があるが…。

榊原 インドのIT産業は90年代ぐらいから次第に活発になってきたが、日本との関係でいえば、必ずしもそうではない。90年代に米国のシリコンバレーで活躍していたのが、インド人と中国人だった。シリコンバレーで働くインド人とインド国内のIT企業が連携し、IT産業が発展した。今でもインドの主要なIT企業のビジネス相手の8割は米国だ。

――米国からの委託を受けているのか…。

榊原 米国からビジネス・プロセス・アウトソーシングやエンジニアリング・プロセス・アウトソーシングなど、さまざまなオフィスワークや簡単なエンジニアリングをシステム化した。それをインド企業に投げ、アウトソースし、コストを下げることをずっと米国が行ったことで、IT産業を大きく引っ張ってきた。今第二段階に入ってきて、インドで盛んに政府が力を入れているのがインフラ整備であり、飛行場・道路・港湾・電力・テレコムなど、巨大プロジェクトがいくつも展開し始めており、すでに入札も行われている。

――中国と同様に、インドにも日本企業が続々と進出していきそうだ…。

榊原 十分考えられる。インドは中国を10年のラグで追っかけている。経済成長もこの3年間、8%台だ。また、インドと中国との関係もここ数年で近くなってきて、インドの輸入は中国からが最も多く、輸出で最も多いのは米国だが、次いで多いのは中国となっている。さらに、インドネシアやマレーシア、シンガポールなどの東南アジアとも関係を深めている。欧州との関係では、元々英国の植民地だったこともあり、欧米の金融機関などが深く入っている。そのため、日本だけが出遅れている感じだ。

――インドで起業する際の特徴は…。

榊原 インドは法治国家なので、法律をしっかりフォローする必要がある。また、分権的な国家なので、州によって税率も法律も言葉も違ってくる。一例を挙げれば、インドのルピーの紙幣には、17の言葉が記されている。実際、英語を話すのは全体の2割程度で、インテリ層が中心。ヒンズー語を話すのは3〜4割で、それ以外は、西ベンガルでは西ベンガル語、タミールナデュではタミール語などさまざま。米国以上に分権的だ。

――ヒンズー教による弊害はないのか…。

榊原 カースト制度が3千年間も続いている。ヒンズー教の制度なので、ヒンズー教徒でない人や、都会や大企業ではあまり関係ないが、地方に行くと、制度が連綿と残っていて、カーストの違う人とは、結婚はおろか食事すらも一緒にしてはいけないというルールが、少なくとも地方にはまだ残っている。だから、特に地方に関わっていくことになると、カースト制度にある程度配慮しなくてはいけない。

――地方まで行く必要はないのでは…。

榊原 工場を現地で建設する際には、おそらく地方にも行く可能性が高い。地方に工場を置けば、ブルーカラーはカーストの下の方からの参加が増える。それから、雇用した人は解雇しにくい。その辺も難しい。しかも、労働争議にすぐ発展してしまうため、トヨタも苦労していると聞いている。

――金融市場はまだまだ未発達なのか…。

榊原 金融市場は中国より発達している。統治していた英国がしっかりした制度をつくっていたためで、例えば株式市場は、むしろ中国よりレギュレーションは整っている。システム面でも優れていて、ムンバイの証券取引所はITを使い、マーケットを整備している。

――中国とインドとの等距離外交という点でもインドは重要だ…。

榊原 インドは東アジア経済圏に次第に入ってきているので、インドと付き合うことが急速に重要になるだろう。またインドと付き合うもうひとつのメリットは、インド以西に、例えばアラブ諸国や東アフリカなど出るときに拠点になるということだ。なぜなら、立地条件として近いこと、そして、千何百年前から、インド商人がアラブや東アフリカで取引を行ってきたからだ。また、インドより東、中国や東南アジアの関係も良くなっているので、そういう意味ではインドと付き合うのは非常に大事だ。何よりアジアの中では、中国と並んで巨大な市場であり、まさに大きく展開し始めているので、進出しない手はない。

――インドに進出すれば、日本経済はまだまだ大きくなりそうだ。

榊原 ただ、問題は日本の企業が必ずしも中国、インド、ロシア、ブラジルでうまくいっていないことだ。言葉を変えれば、これから大きく需要が伸びてくる国や地域で日本はあまり成功していないということだ。インド一つ見ても、インドの電化製品の6割は韓国製。ビジネスカルチャーが違うところでリスクを取って、商売をするのが日本は下手だ。一方、韓国は結構うまい。また、欧米は英語を使って商売ができるし、中国も最近積極的になっている。一方で、日本の主な取引先となっている米国やヨーロッパは将来、成長率は落ちていくし、実際その傾向が出始めている。日本企業は高価で高性能な商品は作れるが、安価で一定の質の商品は得意ではない。一方、サムソンやLGはそこに軸足を置いている。需要が大きく展開している土地で、どのようなサクセスストーリーを考えるかが、日本企業にとって非常に重要となる。

――安くて壊れてもいいものを作ればいいのか…。

榊原 韓国の商品は、レベルが高くても安い。インドの中産階級は、日本で言えば中産階級の下の方にあたるので、自動車に200万円も300万円も出さない。出せて40、50万円、せいぜい100万円ぐらいだ。インドの中産階級に合わせた需要を供給できなければ、インドでは生き残れない。

――日本ではスズキが、唯一の成功例と言われている…。

榊原 スズキはインドの国家プロジェクトだったので成功した。しかもガンジーファミリーが入った国家プロジェクトにスズキがある程度技術提供したという形で、どちらかと言えば特殊なケースだ。スズキの成功例以外にも、1、2の成功例はあるが、日本企業全体がインドで成功できたとは言えないのが現状だ。

――低価格層に食い込んでいくポイントは…。

榊原 違ったビジネスカルチャーがあるところで、うまくあわせていくことができるかどうか。もちろんある程度日本方式を持ち込むのは良いのだが、ローカリゼーションができるかどうか。特にインドは、伝統が強く、プライドがある。

――日本式を押し付けるのは無理か…。

榊原 必ずしもそうでもないが、相当うまくやらないと無理だ。苦労しながらも、日本流の生産方式を持っていったことで、スズキは成功した。現地の人を上手に使うことなど、いわゆるローカリゼーションがどのくらいできるかがカギだ。さらに東南アジアと違い、トップダウンでないといけない。中国や東南アジアは支店長レベルで切り回せるが、インドの場合はトップが行かないと現地の企業と交渉できない。社長が直接インドに行き、トップダウンして仲良くすることが大事だ。

――日本人は下の役員が見に行って、うまくいくとなると社長が行く。

榊原 インドにまで行く社長はなかなかいない。ある意味では米国的だ。英国の植民地だったこともあってアングロサクソン的なのだろう。

――中国も米国的だ。このため、日本だけがカルチャーが違う感じがする

榊原 若干そういう感じがする。だから、日本企業は中国でもかなり遅れている。自動車も中国では遅れた。このため、インドはある意味試金石だと思う。これでうまくいかないようだと日本の衰退のきっかけになる可能性があると心配している。