ベトナム簿記普及推進協議会 理事長 大武 健一郎 氏

ベトナム簿記普及推進協議会 理事長 大武 健一郎 氏

発展の原動力、複式簿記をベトナムに



――ベトナムで簿記普及活動をするきっかけは…。

大武 アジア各国の中で複式簿記が定着しているのは日本とシンガポールだけだ。ベトナムでは複式簿記はおろか、会計そのものがないという状況だ。一方で、私が財務省の主税局審議官、国税庁次長の時、税理士法の21年ぶりの改正を担当したが、その過程で複式簿記の重要性を知った。簿記の担い手としての税理士の育成と、その普及が、日本さらにはアジアが発展していく鍵になると感じたことがきっかけになっている。さらに主税局長を3年務める間、日米租税条約など各国との税務交渉を経験する中で、欧米が先に学んだ複式簿記はアジアではほとんど学ばれていないということを知り、普及の重要性を痛感したことも大きい。また、ベトナムとの関係では、財務省主計局に勤務していた若い頃に外務経済係でベトナム難民の予算を担当したり、沖縄にも100回以上通ったことでベトナム戦争時の様子も感じることができた。さらに、東シナ海文化圏の研究をライフワークとしている関係で、ベトナムには非常に関心を持っていたことも背景にある。

――簿記の重要性とは…。

大武 ヨーロッパでは早くから、複式簿記が数学の名で教えられおり、まさに経営管理数学として資本主義発展の原動力となってきた。インド、エジプト、中国、メソポタミアなど、早くから人類の文明を興した国々は国家の衰退とともにその文明も影を潜めていった。他方、ヨーロッパは複式簿記を定着させたルイ14世以後も、時代を越えて企業活動を支える技術として伝承され、それが産業革命、資本主義の発展を支えた。そして資本主義、ヨーロッパが今日の近代文明を作った背景に複式簿記があったといっても過言ではない。

――その歴史はいつ頃までさかのぼるのか…。

大武 14世紀にイタリアのベニスの商人が発明して発展。17世紀後半にフランスでルイ14世がこれを強制的に経営者に義務付けた。当時のヨーロッパは今日でいう出資法違反、偽装倒産が山ほどあり、「複式簿記の帳簿を出せない者は死刑に処する」との厳しい法律を施行した。貸借対照表と損益計算書を含む複式簿記は幾何学がその根底にあり、財務状況は隠しようもなく資産と収益、支出など全て分かる。当時のフランス経済はこの法律が功を奏し、ベルサイユ宮殿などを造ったルイ14世の乱費にもかかわらず次第に上向きに改善していったという。同様の方式は、紆余曲折を経ながら周辺諸国にも伝播。スペインやポルトガルなどがこれを適用していった。

――日本での普及は…。

大武 複式簿記の普及は、アジアの中では日本だけが早かった。1720年に徳川吉宗が外国の書物の輸入自由化を行い、これにより近江商人が複式簿記を導入したことが始まりではないかと考えられる。しかし、当時はあくまでも商家の秘伝だった。近代に入り明治時代に、福沢諭吉が訪米して簿記の教科書を翻訳し、これを手本に渋沢栄一が銀座で商法講習所を始め、銀行員を対象に商法と複式簿記を教えた。これもごく一部の人が対象だったが、大正時代に入り商業高校が全国に開設されたことから、劇的に簿記が普及することとなった。一般の中小企業経営者のレベルにまで、何を売って儲け、何を売って損するかという複式簿記の理論を商業高校で教えた。この商業高校、さらには工業高校を大正時代に日本中に開設したことは、日本の発展を後押しした最大の理由といっても良く、当時の文部官僚の非常な功績ではないか。この点、中国やベトナム、タイ、インドネシアなども、一握りの優秀な会計人材はいるが、一般のレベルまでは広がっておらず、いわゆる「どんぶり勘定」の域を出ていない。

――簿記に対するベトナム現地の反応は…。

大武 複式簿記の授業を先日開始したが、毎週2回、各2時間行うつもりでいたが、ベトナム人生徒のほうから各3時間にするよう要請があった。今の日本ではなかなか考えられないことで、非常にまじめでハングリーだ。昭和30年代の日本と同じで、成長の意欲にあふれていると感じる。また、ベトナムの外国語教育は、英語やフランス語、ロシア語などの選択制だが、中学校から第一外国語となっている。北ベトナムの出身者では、本音は英語より日本語が受け入れられている。ハノイ工科大学で情報技術、環境学の2分野を日本語で教えているなどの例もある。今のベトナムは全ての分野で日本から学ぼうとする姿勢が感じられる。このような国はほかにないのではないか。簿記の普及活動をしようとしているハノイ市のタンロン工業団地には、すでに70社もの日系企業が入居。キヤノンなどはすでに従業員が2万人規模に上るなど、両国の経済的・学術的関係はかつてない広がりを見せている。

――過去の日越関係については…。

大武 日露戦争では日本がロシアに勝ったわけだが、この戦勝にベトナムが貢献したというエピソードがある。当時ロシアの艦隊は、盟友であったフランスの占領するベトナム・カムラン湾で燃料補給をしていたのだが、あるベトナム人グループが日本に勝たせようとバルチック艦隊の艦船に「泥の石炭」を積み込んだため、日本海で壊滅する結果になったという。このグループこそ、フランスから独立を勝ち取るために立ち上がった、ファン・ボイ・チャウをはじめとするベトナムの維新会だった。同じアジア人である日本が、フランスの同盟国ロシアと戦っているのを見て日本支援に回ったというわけだ。バルチック艦隊はこの時、日本の攻撃を受けても燃料が「泥の石炭」であったため十分な航行力がなく逃げられなかったという。後に、そのファン・ボイ・チャウは中国経由で来日。大隈重信に武器の提供と、独立運動への支援を直訴する。これに対し大隈は、東京同文書院に軍事教練クラスを作り、1907年には実に200人以上のベトナム人が訪日し訓練していたという過去がある。

――ベトナムと日本の共通点は…。

大武 日本の国土は北海道から鹿児島まで、沖縄復帰前の長さで2000キロだが、ベトナムも同じ2000キロ。しかも人口が今8300万人で、1人の女性が生涯に産む子供の数、特殊出生率が2.3人と、ちょうど昭和30年代初期の日本と同じ状態だ。人口構成も完全なピラミッド型。一方で日本は、4人に1人は75才という社会へ向かいつつあり、将来明らかに労働力不足の問題も発生する。このため、外国人を受け入れる場合でも語学がまず重要であり日本語教育は欠かせないが、その点でも日本とベトナムは大いに補完しあえる関係にある。その意味でも、日本が早くから学び経済発展の礎となった複式簿記を伝えることができればと思う。日本から途上国にできることは、ただ単に物を提供するのではなく、日本の宝であるこうした知的インフラを普及させることが重要だと思う。普及活動は時間もかかるだろうが、地道にやっていきたい。