衆議院議員 渡辺 喜美 氏

衆議院議員 渡辺 喜美 氏

100年に一度の危機管理内閣を



――離党の経緯について…。

渡辺 色々言われているが、私は純粋にこの国を憂いているだけだ。去年の9月15日、リーマンショック以降の世界の金融経済はまさにカオスに向かって突き進んでいる。金融経済危機というのは、おおよそ4段階に分かれる。第1ステージは個別金融機関の危機。この場合、資本注入や金銭贈与、不良債権の買い取りで解決できる。第2ステージに移行すると、一国の金融システム全体が危機に陥る。かつての日本がそうだった。この場合は金融サイドの手当てだけではなく、産業サイドの手当て、過剰債務のカット、過剰供給構造の是正、そしてカンフル剤として大量の財政出動が必要となる。このステージがさらにグローバルに広がったのが、第3ステージの今回の危機だ。国際的なシステミックリスクが顕在化し、大変な景気後退や世界的な大不況を伴う。当然のことながら通貨調整は非常に厄介な問題として浮上する。1930年代もそうだったが、当時も金本位制からの離脱が相次ぎ、自国の通貨安政策をとる時代に陥った。今回は基軸通貨国であるドルの信認問題が絡み、新ブレトンウッズ体制といわれる新しい通貨体制の模索が同時に始まっている。基軸通貨国である米国の経済再建という問題もセットになっている。

――米国も新大統領が選ばれ、世界が大きく変わろうとしている…。

渡辺 この点、1930年代には、この第3ステージでの問題解決が出来ずに第4ステージへ突入した。つまり、第2次世界大戦という巨大な破壊と殺戮を伴った究極の金融政策でこの大恐慌をリセットした訳だ。日本ではこの戦争の結果、昭和21年(1946年)マッカーサーの指令によって預金口座が封鎖され、間髪を入れず強制的に預金が切り捨てられ、これにより官・民の戦時債務がきれいに整理された。これが第4ステージの解決方法だ。だから、いかに第3ステージで問題を解決するか。今、世界の指導者はここに心血を注いでいる。翻って、「わが国の政治の体たらくは何だ」という危機認識が私の根底にある。私がとった行動がよく分からない、なぜこの時期に離党なのか、なぜ再議決の時を選ばないのかといった反応も返ってくるが、金融・経済を分かっている人達だったら解説を要しないはずだ。この危機認識のなさに、私は怒ったのだ。

――個別の法案以前の問題だ…。

渡辺 本来、解散をするために選ばれた麻生総理総裁だ。その人が解散もせずに問題を先送りしている。世論調査の結果、支持率が下がってこのまま選挙となれば負けてしまうということから、解散を先送りしている。結局それは政権維持のためだ。あまりにも危機認識がなく、党利党略、政権維持が最優先の課題になってしまっている。そうではなく、こういうときは早急に解散を行い、非常時対応プランを作れる政治体制でなければならない。100年に一度の危機であれば、100年に一度の危機管理内閣を第1党、第2党の大連立でつくるべきだ。マスメディアも政治部は自民党という器の中だけで取材をしているため、グローバルな危機の本質は全くわかっていない。本質をあまりにも外した報道というのは、まさに今のマスメディアの欠陥だ。

――解散総選挙をして大連立内閣を作る…。

渡辺 選挙を経ずして大連立はありえない。選挙をやれば、それぞれの政党がマニュフェストを出して国民に訴えかける。しかし危機管理内閣という公約作りは自民、民主のどちらからも出ていない。だから私が第3極を作りキャスティング・ボート勢力になれば、その影響力を行使できると思っている。そういう政治行動に打って出たということだ。政治で一番大事なことは「人心収攬」だ。残念ながら麻生総理のもとでは「人心撹乱」になっている。だからこそ、私は自らリスクをとり、自民党を出て一石を投じようと思った。おかげ様でFNNの世論調査で「次の総理は誰がいいか」 というアンケートでは、小沢氏、小泉氏に続き、渡辺喜美3位という結果で、麻生総理よりも上位となっていたそうだ。それが国民の声だと思う。

――キャスティング・ボートの人材はどのようにして集めるのか…。

渡辺 国会議員には今のところ声を掛けていない。私が目指しているのは、自民党の器や国会の垣根を越えて、国民運動を行うことだ。これからの運動は国会議員以外の人達と展開していくつもりだ。今の公務員制度は110年前に山縣有朋公が作った試験選抜エリートが行政を執り行うメリットシステムだ。このシステムは大正時代には政党内閣制として機能したのだが、1930年代に大恐慌の中で政党内閣制が壊れて官僚内閣制に移っていった。例えば1931年、犬養内閣で高橋是清が出現しデフレ脱却を行った。しかし5.15事件で犬養首相が暗殺され、その4年後の2.26事件で高橋是清も殺された。結局、政党内閣制が崩壊し、究極の官僚内閣制があの時代に出来上がった。軍出身の総理は究極の官僚といえる。

――そのとおりだ…。

渡辺 そして戦後日本のシステムでも、この官僚内閣制の下で作られた様々な統制型のシステムが続く。例えば野口悠紀雄氏が指摘しているように、戦費調達手段としてつくられたのが源泉所得税だった。企業は競争せず国家目的に奉仕せよと国家総動員体制で決められ、企業が徴収代行義務者として源泉所得税が作られた。集められたお金は内務省によって地方に配布され、地方交付税の原型が同じ年に作られた。翌年1941年にはお米の世界が完璧に社会主義下に置かれて食糧管理法が制定される。1942年、英国で「ゆりかごから墓場まで」のスローガンが掲げられる中、日本では労働者年金(現厚生年金)が作られた。しかし、これも戦費調達だ。だから積み立て方式と称して戦費に使われた。企業任せの記録管理であったため、結婚して氏名が変わったり、企業がつぶれてわからなくなるという、宙に浮いた年金記録の原型がそこにある。そういった国家総動員体制のDNAが戦後ずっと日本を支配してきた訳だ。

――戦後の金融システムも大蔵省を頂点に形成されてきた…。

渡辺 そのとおりだ。例えば1931年の産業資金の調達は、87%が株式市場あるいは社債で調達しており、銀行借入は13%だった。しかし大恐慌の中で統制型システムに変わり、20年後の1951年には、その比率が逆転する。銀行借入が9割近くで資本市場調達が1割程という感じだった。官僚主導、中央集権、統制型、間接金融重視というのが戦時体制の特徴だった。これが戦後の高度成長期には極めて巧く機能して日本の繁栄をもたらした。しかし、ベルリンの壁が崩壊し、世界経済が一体化する中で、このような構造を引きずっていた日本が世界の大競争の中で真っ先におかしくなった。それはバブル崩壊、不良債権という形で現れた。日本は戦後初めて、デフレ経済を先進国の中で唯一経験させられた。そして、気がつけば世界中が日本と同じ目に遭おうとしている。そんな中で、危機認識さえもっていれば日本がいち早く立ち直ることは不可能ではない。しかし、麻生総理のように「危機認識なき楽観論」でいると、国も滅ぶ可能性さえ出てくる。だから麻生総理にはもう替わって欲しいと思っている。とはいえ、私も最初は麻生総理に一票入れた。その政治責任を取るという意味においても、自民党を離党した訳だ。

――国民運動の具体的イメージは…。

渡辺 全国のオピニオンリーダーの人達と興していくつもりだ。地方政治に携わる人達、経済界の人達、地域主権型道州制運動をしている人達と連携して国民運動を行う。全国各地でタウンミーティングを実施する予定だ。すでに一回目は、今月中に新宿で行うことが決まっている。重要なのは国会の垣根を越えるということだ。国会の中の発想は党利党略にはまってしまう。しかし、こんなに危機的な状態で党利党略をやっている場合ではないというのが、私の危機認識の一番根底にある問題だ。おかげ様で、全国の方々から厚いご支援をいただいていることを実感している。これが大きく国を支える原動力となると確信している。(了)