緊急記者座談会

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CMBSがやはり火種に



――ようやく商業用不動産の下落を反映した格下げが騒がれてきた…。

 市場では、ここにきて格付会社が動き始めていることに対して遅すぎたという認識もあるようだ。しかしパニックにはなっていない。その大きな理由は、売主と買主、それぞれが期待する値段が全く違うため、取引自体がおきていないためだ。CMBS(商業用不動産融資担保証券)の流動性はもともと低く、売買が少ないため値段も良く分からないという状況は以前から指摘されていた。今も、決してマーケットが落ち着いているからパニックにならない訳ではなく、下げ止まったにせよ、買主が想定している値段があまりにも安すぎて、誰も売れないという状況だ。
 今年から来年にかけてCMBSの裏付資産が大量にマチュリティ(支払期日)を迎えるが、これも結局、誰もリファイナンスしないという現状が起きている。例えば、ある銀行が100億円の融資をしている物件を、今、誰かが買おうとして金融機関にお金を借りようとする。しかし、金融機関がこの物件見合いで融資できるのが50億円だとすると、買主の用意できる金額と合せても例えば75億円にしかならず、100億円で融資をしている銀行側からすると困ってしまう。銀行は、物件のキャッシュ・フローから延滞利息なども稼ぎながら、期間を延長して100億円という額までマーケットの価格が戻ってくるのを待ちたくなるのは当然だ。商業用不動産でこのようなことが起きているため、CMBSのマチュリティが到来しても今の段階ですぐに売ろうとはせず、2〜3年でマーケットが回復することを期待している関係者が多い訳だ。
 もしかしたら、その間にマーケットが良くならないと判断して、1〜2年後に投売りが起こってくるかもしれないが、今の段階では判断が難しいだろう。売り手としては、買い手がいても売る気になれないような状況で、買い手としても、マーケットがかつての水準に戻る保証がない中、とても値段を上げることは出来ない。買い手は、そもそも、銀行がお金を貸してくれないため値段を上げることが出来ない。買い手も売り手も動けないため価格が動かないという、奇妙な均衡だ。

――米国が、値段が分からない商品の時価会計を見直したことも、奇妙な均衡に寄与しているのか…。

 米国の場合、CMBSだけでなく、一定のローンについても金融機関は時価評価している。賃料水準も大きく落ち込んでいるため、元利払いが出来ないローンも出てきた。一方で、日本の場合はそこまで深刻ではなく、元利払いすら出来なくなっているローンはないようだ。しかし、CMBSを販売した証券会社が、購入した顧客に対して示している時価評価は、実際に売却しようとしたときの価格実態と大きくカイ離している、つまり、買いたい人の値段とかけ離れている。格付会社の対応ももちろん遅かったが、さらに株や債券の世界で不均衡がおきると、格付けなど関係なくとんでもない値段がついてしまう。その可能性をまだ織り込んでいないところがある。
 値段をきちんと評価する機能が日本のマーケットにないことが問題だ。実際にパニックになって投売りが始まると、また金融機関に赤字が連なる。
 日本の場合は米国と違って証券化されていない商品の方が多い。ここで怖いのは、証券化されているものの値段が明らかになってきた時に、皆が「損をしても仕方がない」と思い始め、CMBSの裏付資産である不動産の投売りが始まることだ。そうなると銀行のバランスシートに影響してくる。

――その点、米国の直近の動向は…。

 米国では商業用不動産に関して非常に恐いというイメージがあり、実際にお金が返せずに競売にかかったり、ローンの金額の半分でしか売れなかったりという状況も起こっている。大手金融機関の経営は安定してきているようだが、中小の金融機関はまだまだ倒産が相次いでいる。
 米国では商業用不動産はRMBSと同じくらいの規模があるといわれている。それは証券化市場に与える影響よりも、中堅の金融機関に与える影響のほうが大きい。また、不動産価格が下がると逆資産効果もあるため、商業用不動産に関してこの辺りが今後どうなっていくのかに市場関係者は皆注目している。
 米国も日本も経済対策によって景気は底を打っている印象で、ベクトルは上向き方向だ。商業用不動産も底打ちの期待があるが、この景気がまた下向きになり二番底を打つような状況になると、どこかの時点で投売りが始まるという可能性もある。米国では間接的に企業を助けるなどして景気対策をしているが、まだまだ失業率も上昇している。日本も落ち着いているように見えても、失業率は上がっている。
 量的緩和の中止や利上げのタイミングなど、アカデミックな議論として行うのはいいかもしれないが、今の経済はそのような健全な状況ではないだろう。米国住宅価格が少し下げ止まりを見せ始め、中古住宅販売が増加しているというような数字は出ているようだが、それは十分に下がりきったというだけで、ここから上昇し始めるのかといえば、マクロ経済状況は決してそうではない。逆に言えば、きちんとした簿価であれば下げ止まりに対応することも出来るが、それもなく、下げ止まりとのカイ離が大きすぎる。商業用不動産やCMBSは住宅価格が下げ止まったとしても、まだ本格回復は当面先だろう。
 一方で、統計上では日本も賃料の下げ止まりや空室率の上げ止まりという数字も出てきているようだし、個人の居住用不動産に関してはそろそろいいところかもしれない。また、商業用不動産についても、適切なところにある適切なビルは、賃料を下げれば人が入ってきているようで、どこかに均衡点はあるようだ。
 しかし、価格はそれだけではなく、キャップレート(還元利回り)がどれだけ上がるかも影響している。特に今回は、前回のファンドが作った上げ相場の主役達がいなくなっているため、キャップレートの動向も読めない。

――そんな中、G20では銀行の自己資本比率規制を強化するという議論が行われている…。

 まだまだそんな時期ではないだろう。むしろ自己資本比率は一度やめてしまい、自由に銀行が貸し出しできる状況をつくったほうがいいのではないか。CMBSなども格下げされている今のこの段階で自己資本比率を強化しても逆効果だ。
 それは、リスクをとるなというより、むしろリスクを適切に測りなさいということだろう。そして、測れない銀行に対しては撤退を求める。大きすぎて潰せないという暗黙の政府保証には、コストがあって然るべきで、そのコストを厚いキャピタルで払わせる。銀行の規模が大きければ大きいほど潰せないというのであれば、大きければ大きいほど自己資本比率も高くなくてはならないというような理屈だ。
 日本では幸い、サブプライム問題が直接影響しなかったため、銀行にも余裕があるように見える。中小企業がバタバタと潰れるような不景気にまでならなければ、なんとかなるだろう。また、本質的に日本の金融機関は暗黙の政府保証の下で経営しているようなもので、自己資本比率を高くしなければフェアじゃないという意見も出てくる。

――報酬に対する制限やディスクロージャーの問題については…。

 報酬制限については金融機関特有の問題ではない。例えばM&Aをする会社は成功すれば自分の報酬は上がるし、失敗すれば辞めれば良いだけだ。それは昔からある議論であまり正解はないと思う。一方で、短期間で儲けた時にCEO等が莫大な報酬をもらい、次の期は大損して公的資金を注入するという構造は納得がいかない。こういったことを規制するのは当然だろう。
 短期の収益で報酬を決めるのは止めたほうがいい。それは金融機関に限らずだ。報酬制限というより、その時の因果関係をきちんとチェックした上で、前の経営者に責任があるのであれば、その報酬から返還してもらうようなシステムにすべきだ。実際にヘッジファンドなどはここのところ、時価が元の水準に戻るまで成功報酬がもらえない状況だと聞く。
 人間は、人のお金だとリスクをとるものだ。ストックオプションのような形で報酬を支払うのも良いかもしれないな。

――自由なヘッジファンドの動きがこの10年の世界経済を支えたとも言えるが、今回の危機で、さらに銀行や政府が締め付けられたり、ヘッジファンドにも開示規制が出来るとなると、これまで流れていたマネーは一体どこへいくのか…。

 お金を増やしたいと思う人がいなくなることはあり得ない。人間の欲と資本主義は密接に結びついていて、銀行預金だけでは嫌だという人が必ずいて、他人のお金を運用するニーズも必ずある。そこは何らかの形かで誰かが満たさなくてはならない。
 規制するにしても、消費者保護の側面と、市場の混乱を避けるという側面を分けて考えなくてはならない。消費者保護の面では、きちんと説明をした上でリスクを取れる人にだけ売るというのが基本だ。他方、市場の混乱を避けるために色々な規制を施すのが良いのかどうかは正直分からないが、CDSの決済を清算機関に持っていくということ自体は良いと思う。透明性と決済の安全性が確保できれば、賭場としての金融市場の役割は絶対になくならない。
 より強力な規制をかけることで、また新たなことを考える人が出現し、お金が集まった先で再び経済の発展と混乱が起こり、10年後にまた同じようなことが起こるのではないかという気がしないでもないが…。
 銀行にレバレッジ規制をかけるなど自己資本比率を厳格にするのなら、一定以上の規模のファンドにもレバレッジ規制をかけるべきだという議論は当然出てくる。そして、金融市場そのものが公共財であるという議論が出てくる。誰かがお金を失うことは構わないが、その人の行動によって金融市場が混乱するのは困るということだ。市場自体が公共財であるという議論は正しいことかもしれないが、それがあまりにも先行して身動きも取れない規制になってしまったら、誰も市場を使わなくなるだろう。
 FXのレバレッジが規制された件も、顧客保護の観点から考えるとそうせざるを得なかったという気持ちは分からないではない。取引している場そのものは公共財だというのは間違いない。
 それを混乱させるようなやつは出て行ってくれと、どこまで言えるかだ。自由と規制のバランスは非常に難しく、永遠の課題だろう。

――今のCMBSの下落による金融市場の混乱を防ぐために当局に期待することは…。

 米国のピーピップ(PPIP)のように当局が取引値段を決める仕組みを導入すれば、市場活性化に一定の効果が期待できる。例えば、大きく値を下げているREITを、外部の専門家を使って一旦値段を決定して凍結させる。その値段で強制的に時価評価させて損も利益も出させれば、一気に市場は正常化し、機能し始める。なぜ日本でそれをやらないかと言えば、そこまでの危機感をみんな持っていないからだ。
 そもそも、制度的にJ-REITや資産流動化法が出来た背景には、銀行が不良債権を抱え、その裏側にある不動産が流通しないために値段も不透明になり、売買できない不良債権がどんどん膨らみ、益々実態が分からなくなったということがある。逆に言えば、マーケットが出来れば動くようになるし、動けば値段も分かってくる。
 しかし、最終的に不良債権が解決しさえすればいいという考えの政府にとって、そこまで金融機関に肩入れするインセンティブはない。当然、不動産価格を直接上げることはしないで、政府の立場からは「適切な価格で取引をしなさい」としか言えない訳だ。
 金融庁などはJ-REITに対して、「正直なところ何をやっているのかわからない」という印象があるため、「そこに大量の資金を投入するのは如何なものか」という感じなのだろう。しかし、それが国土交通省の立場では「とにかく一生懸命お金をいれてなんとか立て直さないと、金融機関の不良債権がたまり値段も下がるだけなので、J-REITにお金をつけよう」というイメージなのだろう。
 結局不動産の価格が誰にもわからない中でお金を注入したり借りたりしようとしているから、胡散臭くてみんなの腰が引けている。国土交通省としては当然不動産を買った値段まで価値があると言いたいだろうし、世の中は「そんな不動産なんて二束三文だろう」という見方だ。そのカイ離が一番難しく、政府が値段を決めて、そこから外れた分は政府が国民の税金を使ってリスクをとるような手法をとれば、それが正しい値段になり、その値段で取引するようになる。
 それにしても自由な価格メカニズムを標榜する米国政府が、専門家の意見を取り入れるとは言え、そこまで市場に介入するとは…。やはり米国は機動的な国だ。日本でそんなことをやろうものなら、ドグマティックあるいはペダンティックに自由経済を掲げる人達が反論することは目に見えている。
 お金を入れるためには適切な価格でなければならないというのが米国の尊敬すべきところだ。日本の場合は、資金を入れようとすると、入れる側も入れられる側も色々なことを考えてしまい、さらに時価ではなく簿価で考えるためになかなかまとまらず、当然不公平感も出てくる。米国でも不公平感はあるだろうが、政府が考える最大の市場メカニズムがそこには反映されようとしているということが、皆の了解を得られる理由だろう。

――一方で、中国では不動産価格が急上昇し、上海株も上がっている…。

 中国の今の状況は、まさに日本経済のバブル期だ。世界経済が駄目だから日本はもっと金融緩和を続けろという風潮が日本のバブルを作り出した。あの時の二の舞になるのではないか。上海万博辺りからの10年間、中国の行方がどうなるのかが気になる。
 ただ、理屈の上では中国にはとてつもない内需があり、それは日本とはちがう。日本の内需拡大は末端まで行ったのではなく、中産階級が今までよりも余計にお金を使うようになったというだけだ。中国にはどうも中産階級がない。バブルが崩壊しても、中産階級が生まれ、育てば、経済成長は続くのではないかという気もする。

――日本の政権交代による金融業界への影響は…。

 2大政党制がきちんと機能している国には米・英・加・豪・独・ニュージーランドなどがあるが、それらの国と同様、日本でも、別にどちらが政権とっても金融市場はパニックにはならず、これまでどおり普通に機能するだろう。
 日本では、本来的には右派で、小さな政府を標榜すべき自民党が過去ずっと政権を取っていたため、官僚を使う側に回り大きな政府となった。一方で、相対的には左派の民主党が小さい政府を標榜している不思議な国だ。今回の政権交代で一体どれだけのコストを削減することが出来るのか、お手並み拝見といったところだ。
 民主党には本当に小さな政府を期待したい。そして、せめて4年間は目指すべき方向にまっしぐらに進んで欲しいと願うが…。(了)