早稲田大学法学学術院教授 アジア資本市場協議会代表 犬飼 重仁 氏

早稲田大学法学学術院教授 アジア資本市場協議会代表 犬飼 重仁 氏

AIR市場でアジアのさらなる発展を



聞き手 編集局長 島田一

――先生は実務経験もお持ちだ…。

犬飼 私の最初の就職先は三菱商事。75年に入社後、財務経理部門に長く在籍し、02年にハーバードビジネススクールのAMP(経営者養成プログラム)を修了した。その後、内閣府が所管するシンクタンク「NIRA(総合研究開発機構)」に出向した。当時から現在まで一貫した研究テーマは「日本とアジアの金融資本市場法規制システムのあるべき姿」だ。87年〜94年までロンドンの金融子会社に勤務し、当地で資金の調達・運用・管理を担当したこともあり、当時のロンドンを中心とするプロの金融市場とその市場インフラがいかに進んでいるか、身を以って感じていた。一方、帰国後の日本は、私が渡英した6年前と何ら変化がなく、日本市場の遅れを感じた。象徴的だったのは、当時、国内債発行の検討の際、長期信用銀行系証券が「4年債と6年債の企画書」を出してきたことだ。これは金融債(5年債)の年限を避けるためだ。それまで我国に独自に培われてきた国内金融資本市場の諸慣行は、発展途上の日本には大いに意味があったが、高度成長が終わった後も新しい市場のビジョンとデザインが示されず、長い間見直しが遅れたことが、日本金融市場の発展を阻害したといえる。

――現在、日本とアジア域内に「プロ向け国際債市場」を創設することを提言しておられる…。

犬飼 これは、アジアにも、かつてのユーロ債市場のような自由度の高いプロ向けの域内共通の資本市場が必要だという意識と認識の下で進めているプロジェクトだ。アジア域内のプロの市場参加者同士がクロスボーダーで共有できる使い易い資本市場を作り、アジアに蓄積した巨大な貯蓄を効果的・効率的に循環させるということだ。金融庁は08年、成長戦略の一環としてプロ向け市場の法的枠組みを作り、それを機に「TOKYO AIM」というプロ投資家向け株式市場が出来たが、その法的枠組み自体、柔軟性の高いプロ向けの債券市場創設のための法的な基礎となるものだ。既存の私募債市場は転売制限があり、書面交付等が義務化されて使いにくいのだが、今回の我々の提言では、AIM市場と同様に書面交付の義務を免除し、特定取引所の自主規制による上場(開示登録)で機動性のある新たなプロ向け債券市場を作ることを目指している。

――具体的な提案の要となるものは…。

犬飼 まず、いわゆるユーロ債市場の日本版となる「プロ向け公募債市場(PSM-J)」の創設を提案した。現在の日本の社債市場では、その多くがプロ向けに売られているにもかかわらず、個人を含む一般投資家を保護するための一律の開示レベルを前提とした発行登録制度を使っている。そのため、プロ向けであっても、一般投資家向けレベルの法定開示が必要で、その分非常に使いにくい。例えば、海外の発行体が日本でサムライ債を出す場合、売る相手がプロ向けだったとしても、日本語での厳格な開示義務をクリアしなくてはならない。登録制度自体は発行を円滑にするためのものだが、その基準は必要以上に高く色々な制約もあることから、社債発行企業側からは「日本国内ではプロ向けに機動的に起債できないし、発行できる期間もユーロ債に比べて極端に短い」という不満の声もあがっている。なお、プロ向け公募債の開示内容もプロ対応となるので、プロの間のみで流通することが必要だ。一般の投資家が購入・保有することがないよう、実務的には証券会社等は社内顧客管理システム等でプロ公募債の一般投資者への振替をブロックすることが考えられる。

――プロ向け市場に適合した簡素な発行登録制が必要だと…。

犬飼 すでに株を上場しているような企業が発行する債券については、改めて四半期毎に一般投資者保護のための審査をするのではなく、極めて簡易な開示登録とプロ対応の引受審査で発行出来るのが望ましい。このような概念は、ロンドンやルクセンブルグに上場する欧州のプロ向け国際債の世界では少しも新しいものではないが、日本と多くのアジア諸国では非常に新しいものだ。08年に金融庁の法律改定が行われたのに継いで、今年度の税制改正では非居住者が保有する国内社債から得た所得に対する課税をゼロにすることも決定された。プロ向けの債券について、法律と税制という国内債とユーロ債等クロスボーダーの国際債とを概念的に隔てている大きな2つのネックが取り払われ、あとは開示部分のルールがきちんと整備されれば、国内債と国際債を分ける必要性も薄れてくる。日本の特定取引所金融商品市場の中に、日本の企業のみならず、世界中の発行体企業が債券を上場出来る仕組みとルールを、まずは東証を始めとする我国の証券取引所が受け皿になって実現してもらいたいと願う。

――アジア域内に共通するプロ向け債券市場を作るにあたって、日本の役割は…。

犬飼 日本がイニシャティブをとり、アジア域内の投資適格債券の情報をまとめて提供する場所とシステムを構築すること、そして、良質で信頼される域内の市場環境を用意することが必要だ。我々は、先ほど説明した「日本のプロ向け公募債市場(PSM-J)」 をアジア域内まで広げたプロ向け国際債市場のことを「AIR-PSM(Asian Inter-Regional Professional Securities Market)」と名づけ、この市場を「AIR市場」と呼称することを提唱している。AIR(エアー)とは、その最初の頭文字を取ったものだが、同時に、日本や韓国、中国など各国国内市場の天空(エアー)に共通に存在する市場を企画しているという意味もある。ユーロ債市場の日本版を「PSM-J」、アジア版を「AIR-PSM」としてこれらが実現すれば、オフショア債であるユーロ債やユーロMTNも日本の取引所に上場(開示登録)され、PSM-J適格条項のついたアジア債・アジアMTNとして当たり前に日本国内やアジア各国でプロ向けに売られ、流通するようになる。日本の機関投資家の中には「発行登録されていないものは買い難い」という人もいるかもしれないが、先ずはこの新しい市場を現実に作ってみることだ。そういう市場の存在を日本とアジアに定着させていく過程で、機関投資家もその実質を理解するだろう。我国の既存の社債市場が個人向けを除いて全て「PSM-J」に置き換わるのだというくらいの迫力をもって新市場作りを進めれば、市場はもっともっと使い易いものになっていくに違いない。

――根本的な問題として、日本にプロの投資家がいるのかという議論もあるが…。

犬飼 日本とアジア域内に市場イノベーションを発揮する場を創出するためにも、域内のプロ市場参加者の育成・鍛錬は欠かせない。日本でも、制度上プロ(特定投資家)のカテゴリに入っているがプロとしての訓練がされていないと思われる人達もいる。だからこそ、今、このような意識の下に新しい市場の風を起こして、プロのスタジアムで共に切磋琢磨することのできる市場インフラを作ることが重要だ。規制当局と法定のフルディスクロージャーという市場だけを見ているのではなく、プロ向けに自主的な開示がなされている投資商品と市場のダイナミズムを見極め、そこで技を磨き、それらの自主ルールを改善するため自ら参加することは、大いに勉強になるだろう。

――その他、新しい市場が出来ることによるメリットや問題点は…。

犬飼 現在、日本の市場で社債を発行出来るのは100営業日程度しかなく、社債発行企業側にとっては使いづらいものになっているが、我々の提言が上手く制度形成につながれば、社債が発行できない期間はかなり圧縮される。また、円以外の多くのアジア通貨建ての債券は発行しにくいという問題に関しては、日本がかつての円の国際化・金融の自由化の過程で円建て債等の規制緩和をした経験を生かし、今後、各国当局に各々のアジア通貨建ての債券発行規制の緩和を促すなど、日本が先頭に立ってアジア域内債券市場の使い勝手を良くするための活動をしていくことが求められるだろう。

――域内でアジアの通貨を使って国際債を発行すれば、アジアの成長にもつながる…。

犬飼 アジアの中にある巨大な貯蓄は、今までかなりの部分が米国債に向かっていて、そのため、米ドルの為替リスクの影響を受けていた。しかし、これからアジアの貯蓄は、アジアの通貨建ての資金を使って、アジア域内で高付加価値的に循環させていく仕組みを整えることが基本になる。今後ますます強くなっていくだろうアジア各国の通貨を以って、アジアの成長を促していくことが出来るということだ。そのためのインフラ作りとして、今回の「AIR市場」は重要な役割を果たすだろう。我々は、決して既存の市場を潰そうと考えているわけでは無い。証券業界や証券取引所などともタイアップしながら、民間ベースで、多くの市場実務家や研究者や法律家の自発的な参加を得て、日本とアジアに対応可能な新しいプロ向け市場のデザインと新しいルールのあり方について一生懸命考えている。そして、これを契機に域内各国と域内クロスボーダーの金融資本市場がさらに飛躍的に発展していくことを望んでいる。(了)