早稲田大学グローバルCOE 総合研究所所長 上村 達男 氏

早稲田大学グローバルCOE 総合研究所所長 上村 達男 氏

会社法と金商法を一体化し、株主主権を



聞き手 編集局長 島田一

――会社法と金融商品取引法(以下、金商法)の一体化構想の背景について…。

上村 もともと、会社法は証券市場を使うために作られたものだ。証券市場において不特定多数の投資家が売買するためには、株式の価格形成可能な条件が備わっていなければならない。証券市場で公開するとは、一般大衆つまり市民達に開かれた会社であることを意味する。しかし、戦後日本の資金調達はほとんどが銀行融資であり、その意思決定も、市場ではなく、官僚の方向性のもとに決められるという時代だった。日本の経済成長は、政府が特定の産業に力を入れ、その産業が外に出て活躍し、稼いできたお金を法人税として国に払い、それを日本全体に分配するという傾斜配分方式を契機として成し遂げられたものだ。そこにはデモクラシーや手続き的正義は贅沢品であり、迅速な決定こそが一番に求められた。ガバナンスという概念も全くない。株式の持ち合いを認めて、株主を安定させ、経営者が自由にやれることを良しとしていた時代が続き、証券規制の中心は長い間、業者規制に置かれた。このため、資本市場を使う器であるべき株式会社化制度は、本来持っていた機能を使うことは無く、会社は経営者にとって経営する上での便利な器でしかなかった。

――株主も、キャピタルゲインや配当をもらうためだけの投資であり、ガバナンスには興味が無かった…。

上村 株などに比べると、郵便貯金や銀行預金の方が安心感があり、投資信託に預けるとしても、それがまさかリスキーな商品だとは思わずに購入していたというのが当時の実状だった。そこに市場のメカニズムは存在しない。しかし、経済成長により日本全体が段々と豊かになってくるにつれて、価値観は多様化する。そして、その先に何が必要になるのか、官僚は示すことが出来なくなる。計画経済ではなくなり官僚にも頼れなくなった今、耳を傾ける先は市場であり、そこでプレーをする投資家だ。ここで、いよいよ株式会社という制度が、本来持っていた機能を発揮することになる。これまでの「会社は経営する上での便利な手段であればいい」という意識から、「資本市場を使って企業経営を行う」という意識に変化してきたことによって、実は、株式会社とは資本市場を使うための制度だったということが改めて認識されるようになった。貧しい時代に、官僚、経営者、銀行を中心に経済運営がなされ、経済成長が成し遂げられたことは事実であり、私はそれを否定するつもりはないが、今や、資本市場を使う意味を、本気で考える時代になってきたということだ。

――今までの日本では、金商法と会社法を一体化するというという発想もなかったため、株式会社と公開会社の違いさえあやふやだ…。

上村 欧米では公開会社のことを「株式会社」という。私が言う「公開会社」とは、金商法適用会社のことだ。株式会社とは証券市場を駆使することで巨額の資金を集めることができ、大規模経営が出来るという素晴らしい魅力を発揮しうる制度であるが、それが可能な理由は、株主は有限責任であるために安心して投資が出来るからだ。一方で、責任を伴わない投資というものは、とかく大きなバブルになりがちで、米国も欧州も日本もこれを経験している。米国には日本とは比べ物にならないほどの厳格な規制があるにもかかわらず、それでも自由の方が常に行き過ぎてしまい、失敗しては修正するというプラグマティズムの国だ。この点、日本は米国の自由の部分だけを学ぶのではなく、実際に失敗を経験することのないように、米国の失敗を理論的に考え、証券市場を持つ株式会社とはどういうものかということを考えるべきだろう。

――具体的に、金商法と会社法を一体化するには…。

上村 日本の公開会社は、金商法の情報開示や会計基準や監査義務などを守らなければならないし、現に守っている。その多くの行政規定を始めとする一切のルールは、金商法の目的である公正な価格形成確保のためのものであり続けるが、こうしたルールを必要とする証券市場と一体の会社法が株式会社法、ということだ。もちろん、デリバティブや証券化商品などは会社法との間に接点は少ないが、少なくとも株券や社債についての金商法ルールを、会社法とは全く別のものと見ることは誤りだ。そもそも株式会社とは証券市場対応型会社形態なのだから。金商法で求められている情報開示はEDINET等で皆が気軽に閲覧できるようになっており、会社法の開示制度は原則としてこれに吸収して良い。また、計算書類にしても、現実のところ公開会社は金商法ルールである財務諸表規則で行なわれている。国際会計基準等の問題があるにしても、会社法上の計算書類と、金商法における財務諸表を二重化させるのは実は全く無駄なことだ。会計の世界における税法会計、会社法会計、金商法会計のトライアングル体制も、会社法と金商法を一体化して「公開会社法」としての会計制度にすることで二辺の重複は解消される。さらに、「公認会計士・監査法人」とは金商法の概念だが、会社法では、これを「会計監査人」とわざわざ言い換えている。同じ資格なのにもかかわらず、なぜ言い方を変えるのかというと、会社法と金商法とは全く別の法だという観念が前提であるために、金商法の概念をそのまま会社法では使えないと思い込んできたからだ。

――公開会社法というのは、株主に代えて投資家を主張する怪しからん考え方だと言う人もいるが…。

上村 それはとんでもない誤解だ。株主は当然であるが、それだけでなく株主以前の投資家と株主という投資家の全体を包摂しようという話だ。経営者は誰のために経営しているかという議論の答えとして、今まで多くの人は「株主のため」と言ってきたが、金商法適用会社であるにもかかわらず、それ以前の「投資家」という概念が抜けている。株式を公開するということは、国民全員に向けて情報を開示し、会計、監査も行なうということだ。つまり、これから株を買おうとしている不特定多数の投資家、つまりは国民ないし市民を対象に、開示等、金商法が要求する事柄を確実に実行できるガバナンスが存在しなければならない。この点、「株主」という概念を「投資家」という概念に変更することだと勝手に思い込んで、公開会社には断固反対だ、などと言う人もいるらしいが、恐らく私が書いたものを全く読んだことも理解しようと思ったこともない人達だろう。金商法を守っているということは、まずは買い手としての「投資家」に向けて情報開示や会計等を行っているのであり、この事実を否定しようがない。そして、その株式を気に入って買った人が「株主」になる。その株主は売り手の投資家として市場に参加する可能性をいつでも有する「投資家」でもある。この全体を包括する法制を「公開会社法」と言っているだけだ。これは諸外国ではごく当たり前のことで、こういうのを株式会社法という。しかし、資本市場とのつきあいに慣れていない日本は、資本市場対応型株式会社法というのを意図的に構成しなくてはならない。日本が失敗を繰り返すことなく欧米に追いつき、追い越すためには、経験不足を知恵と論理で補って、一つのモデルを提示することが必要だ。そうすることで、欧米が気付かなかったことさえ指摘できるかもしれない。また、そうすることにより、アジアの法理論上のリーダーとしての日本を想定できるかもしれない。こうしたことは、世界でも珍しく外国法を学び続けてきた日本だからこそ出来るものであり、この点において、日本固有の長所、また文化的な価値を存分に発揮できるだろうと私は考えている。

――民主党の公開会社法プロジェクトチームは、監査役に従業員代表を参加させるべきだと唱えているようだが…。

上村 私は民主党のプロジェクトチームに何度か話に行ったが、そこで強調したことは上で述べたようなことだ。投資家=市民=労働者という発想から会社法に労働者概念を定着させようという話しが、当初民主党や連合の関心を呼んだ。民主党の提案もこうした認識を共有しているものと思い込んでいたが、そこが抜けた監査役会への労働者参加というのはナンセンスだ。私はこの議論には一切関わっていない。相談を受けたこともない。この提案はドイツの「監査役会」の労働者参加を真似たようだが、ドイツの「監査役会」とはアメリカや日本の「取締役会」を意味しているため、日本でこれに相当するものといえば「取締役会に対する労働者参加」でないとおかしい。ドイツが監査役会だから日本も監査役会という、あまりにも安易で単純な発想は、勉強不足と言わざるを得ない。他方、日本において年金などの資産運用に携わる人たちには「受託者責任」という意識が少ないように思われる。受託者として、義務と責任を如何に果たすか、そのために議決権をどう行使するのかをもっと考えるべきだ。欧米では、日本のような事業法人の株の持ち合いはないため、投資家=市民=個人となり、個人という社会の主権者が株を買っているから「株主主権」となる。株式を買えば主権者になるわけではない。日本で「公開会社法」を本気で進めていけば、投資家の中に市民、つまり労働者が含まれてくる。そして、「労働者としての株主」という観念がきちんと育ち、市民運動の担い手として、組合のこと等を真剣に考えるようになるだろう。民主党は、このような本質論をしっかり押さえて、会社法理論上の労働者の地位を確立させるという発想になるべきで、監査役会の話ばかりが目玉のように言われるのだとしたら情けない話だ。(了)