国際会計基準審議会 理事 山田 辰己 氏

国際会計基準審議会 理事 山田 辰己 氏

リスクを反映した真実の会計に



聞き手 編集局長 島田一

――会計基準がIFRSへ移行することで、事業会社に大きな影響を及ぼしている…。

山田 今年7月末に都内のホテルでIFRS財団主催のセミナーを開いたが、350名弱の方にご参加いただいた。日本は昨年、企業会計審議会がIFRS採用に向けて動き出す答申を提出し、今年3月から任意の早期適用が始まっている。すでに1社が任意適用を開始しており、その他にも早期適用を考えている会社は少なくとも10社以上あると思う。金融庁の意思決定は2012年だが、適用を決定すれば2015〜2016年には強制適用になるため、それならば早めにと考える会社は多くなってきているのだろう。私が2001年に国際会計基準審議会(IASB)に加わった頃の日本は、IASBの動きや国際化に非常にネガティブな印象を持っていた。しかし、2007年の東京合意以降、日本の雰囲気は大きく変わり、とりわけ、昨年の審議会の答申以降、少なくとも産業界のトーンは大きく変わった。現在は、IFRSを採用するかどうかというより、いかに導入するかという方に焦点が移ってきているようだ。

――雰囲気が変わってきた背景には…。

山田 IFRSの採用が国際的に拡大していることが大きな要因だ。2001年に我々が活動を始めてから、2005年、最初にEUがIFRSを上場企業の連結財務諸表に強制適用し、そこで約8000社がスタートした。それと同時にオーストラリアが適用し、07年にはニュージーランドへも広がった。それ以外の国でも同様の動きが広がり、ブラジルでは2010年、来年はカナダや韓国、インドでの適用が表明されており、さらに、2012年からはシンガポールというように、急速に増えてきている。国連加盟国約190国のうち、現在過半数となる110カ国がすでにIFRSを適用したり、適用しつつある。このような世界の流れを見て、日本の企業会計審議会もIFRSを採用すべきだという方向に舵を切ったものと思われる。米国SECは、リーマンショック以降の米国企業の景気回復がはっきりしない段階で、IFRSへの切り替えは難しい状況にあるとしながらも、2011年に意思決定をするというスタンスは変えていない。日本の中には米国の動きを見て判断すべきだという考えもあるようだが、少なくとも企業会計審議会では、日本が米国より早い段階で任意適用を認めることで、IFRSに対してより積極的に動いていると理解している。それは日本企業が国際競争力を増すうえで非常に重要なことだ。現在、日本会計基準とIFRSの統合(コンバージェンス)が進められているが、さらに、その先でIFRSを強制適用すれば、欧州や米国で資金調達する日本企業が、不利益を被ることなく、1つの財務諸表で世界中から資金調達出来るようになる。戦略的に、低コストで資金調達が出来る素地を作るという意味において、IFRS導入は日本の経済、産業において非常にプラスになることだと思う。

――リーマンショック以降、IFRSの重要性がG20などの合意文書などにも盛り込まれている…。

山田 リーマンショックが明らかにしたことは、米国で起こったサブプライムの問題が、実は色々な金融手法を通じて世界中に拡散しているという事実を明白にしたことだった。そういった時に、各国がそれぞれの会計基準を使っていると、全く比較が出来ない状況になってしまう。少なくとも上場企業のレベルで1つの統一された基準で比較出来なければ、今のグローバル化した経済や企業活動をきちんと把握できないという規制当局からのニーズもある。各国には固有の商慣習があり、その考え方は守るべきだという意見もよく耳にするが、世界経済の一体化が進んだ現在、そのような各国固有の商習慣が残っている例は少ないと思う。世界のルールと違って歪んでいる部分があれば、必ずアービトラージが働く。つまり、経済活動がグローバル化してくると、各国特有のものは徐々に姿を消してくるということだ。例えば1990年代後半、IASC(国際会計基準委員会)が作った投資不動産の会計基準で取り入れたDCF(Discounted Cash Flow)法に対して、日本の不動産業界の方々は、当時、「DCFという考え方は日本には馴染まない。日本の不動産ビジネスの商慣行は他とは違うんだ」と主張していたが、その後REITが解禁され、今やDCFは常識になってきている。輸出入もなく伝統の考え方が残りがちな不動産というマーケットにすら海外の考え方が入ってきて、10年余りの間に時価を測る尺度が一変している。このように、経済実態のグローバル化が共通の尺度を求めているというのは当然のことだと思う。今後グローバル化が進まないことはあり得ない。そうなれば、1つの物差しで企業の業績を測りたいというニーズは、増えこそすれ、減るようなことはないと私は信じている。

――金融商品の時価と簿価の取り扱いについては…。

山田 少なくとも金融商品はキャッシュフローの交換という特徴を有している。当然、金融危機の時にオーバーシュートすることは実際にあることだが、今、取引をしようとするならば、その価格以外はないこともまた事実だ。また、マーケットが消滅してしまっても、色々な手法を用いながら現在の価値を推定することは出来るだろう。経営者は、金融商品を持つという意思決定をした以上、その価値が大幅に下落するという可能性も含めたリスクを常に考えながら、色々な判断もしていかなければならないのではないか。我々が作っている会計基準の役割は、何が起こったのかを知らせることだ。リスクを取っていればそれを知らせ、そのリスクが顕在化したならば、それをきちんと表すような基準でなければならない。取得原価でバランスシートに計上しておいて、それで損が減るのであれば会計基準をどうしようと構わないが、マーケットが回復しない限り含み損は解消しないのだから、その実態を示すべきだと考える。逆に、マーケットが悪くなった時に取得原価で計上していると、適時情報が提供されないということで投資家が疑心暗鬼になる。その不安がもたらす影響は大きい。これはミクロベースではもちろん、マクロベースでもある。

――今、何が本当に起こっているのかを、適時に正しくマーケットに伝える会計基準であるべきだと…。

山田 1990年代の会計基準は、市場の変動性のあるもの(例えば、確定給付)を、出来るだけその影響が一気に現れないように作っていた。例えば、確定給付型の年金については、回廊基準を取り入れ、マーケットが大きく振れた場合には、何年かに分散して損益を認識することを認めてきた。しかし、アナリストから「そういったスタビライザー(安定剤)機能が入っていると、実際に年金資産に当期何が起こったのかが全くわからなくなる」という声があがったため、現在は退職給付の新たな会計基準の提案をしている。マーケットが振れるということはある意味当たり前のことであり、そのリスクを反映した真実を見たいという投資家がいるのも当然だ。それに応えようとしているのが、現在作っている会計基準の方向性だと私は理解している。

――包括利益の考え方について伺いたい…。

山田 現在我々が提案しているのは、1計算書方式の包括利益計算書だ。それは、最初に売上高があり、途中に当期純利益があり、その後に、その他の包括利益があって、末尾に包括利益が現れるというものだ。包括利益というのは、資本の部の期初から期末の変動のうち、株主との間で行なった取引を除いたものだ。つまり、包括利益というものは未実現の損益も含めて、期初の資本の部と、期末の資本の部の差額がどういう構成になっているのかを見えるようにするものだ。例えば、有価証券の益だしという慣行がある。10年間A社の株を保有していたことに伴って含み益が出たとする。それを10年目に売却してキャッシュフローを受け取った時には、10年間分の利益を一気に有価証券売却益という形で認識させている。企業では、よく、特別損失が出た時にこのような形の特別利益を出して、ネットの純利益を確保する手法をとっているが、この売却益というのは必ずしも当期にリスクを取った結果ではない。10年間A社の株を持ち続け、10年間リスクを取った成果として含み益が貯まった結果だ。その時々に経営者が保有し続けるという意思決定を行なった成果は、何らかの形でそのリスクをとった期に把握出来るようにすべきであり、それを可能にするものが「その他包括利益」ということになる。当期純利益は日本だけでなく米国でも重視されているため、それはそれで、売却時に売却益を当期純利益に含めても良いかもれない。ただ、リスクを取った時にその成果がどれだけあったのかということは、実現・未実現関わらず、ある種の情報として提供されるべきだ。そういうことに対応するものが、包括利益という概念である。また、もう1つ、日本から批判を受けているものとして、一旦、「その他包括利益」で認識したものを売却した時にもリサイクリングをしない、つまり当期純利益に戻さないという手法をIFRSでは取っているが、これに対して、当期純利益を重視している日本からリサイクルを求める意見が多数寄せられている。ただ、我々としては、未実現・実現に関わらず、リスクを取った時に、その成果として把握されたものを、10年経ち、キャッシュに変えただけで売却益という形で認識するということは、必ずしもその期の業績を示したことにはならないと考えているため、リサイクルに対しては、ボード全体として比較的ネガティブだ。今、その他包括利益で認識するものの中でリサイクルを認めているのは、為替換算調整勘定と、資本勘定で処理された金融商品のキャッシュ・フロー・ヘッジの損益、この2つだけに限定している。

――最後に…。

山田 現在、IASBとFASBが2011年の6月に向けてMOU(覚書)を結び、両者の会計基準を統合させようと考えている。そのプロジェクトの一部が時間的な制限で繰り延べられていたり、また、金融商品に関する会計についてはIASBとFASBで提案している中身が少々違うところもある。それを見て、IASBとFASBが仲違いをしたとか、一緒に作業しないのではないのかという噂があるようだが、それは全くの事実無根だ。我々は良い基準を作りたいという思いを共有している。金融商品については、残念ながら米国の投資家が要求するものと、米国以外の投資家が要求しているものが違うという判断で、提案の中身も違うものになっているため、2011年6月までに収束させるのは難しいが、その後も統一に向けた努力は続けていく。良い基準を作ろうというFASBとIASBの努力はいささかも緩んでいない。日本経済が世界をリードしていきたいと考えるのであれば、IFRSはそれを達成するための1つのツールとして位置付けるべきだ。そのツールを日本が利用して、世界のリーダーという役割を担っていかなければならない。さらにはIFRSをアジアで広めるような役割も、日本が率先してやっていって欲しいと思う。(了)