西村あさひ法律事務所 弁護士 江尻 隆 氏

西村あさひ法律事務所 弁護士 江尻 隆 氏

東アジア統一市場の役割担う



聞き手 編集局長 島田一

――スタートは金融弁護士…。

江尻 私は1969年に弁護士になり、すぐ米国に留学した。ハーバード大学ロースクール卒業後のローファーム研修で、企業法務に携わり、個人事務所しか存在しなかった日本に比べ、ローファームの規模と仕事の範囲の広さに新鮮な驚きを受けた。日本に戻りアンダーソン・毛利・ラブノウイッツ(現アンダーソン・毛利・友常)に入り、ビジネスロイヤーとして働いた。77年の独立当時、日本は高度経済成長の終焉段階にあり、設備投資資金を証券発行という間接金融で調達する流れが起きていた。国内では株式発行手数料などが非常に高い時代に、海外市場は低コストで、日系外債専門の弁護士として働いた。

――日本のM&Aロイヤーの先駆者だ…。

江尻 さらに財務諸表の見方なども勉強していたため、80年代からはM&Aの仕事が自然と増えてきた。英国BOC社による大阪酸素工業の買収案件や、米国メルクの万有製薬買収案件など、上場企業が外資に買収される初期の頃のアウト・イン2大案件に携わった。そして今、国内消費の低迷・設備投資の抑制で、個人も企業もマネーを溜め込み、起業の動きや資金のフローは低迷している。そこで企業は消費者を求めて、中国、インドやインドネシアなどに向かっている。我々は、すでに2005年頃にはその傾向を見ていて、海外進出に耐えうる体力をつけるために07年7月に統合し、海外戦略をスタートした。

――具体的な海外戦略とは…。

江尻 私は、これからは東アジアの時代だと考えている。日本と中国・韓国・台湾・香港はすでに事実上の統一市場となっており、品物、資金、人や技術が圏内を回っている。ただ、この市場をEUのように条約で結ぼうとしても、難しい問題がある。ここに、我々ビジネスロイヤーの役割がある。まずはきちんとした契約を作ることだ。併せて司法制度を確立させることも必要だ。裁判員への賄賂がまかり通るような信頼できない司法制度では、どんな立派な契約も意味ない。良い契約をつくり、それをきちんと執行できる司法制度を整えれば、東アジアに条約は必要ない。さらに我々は、シンガポールをはじめとする東南アジアも巻き込んで、アジアがEUと同じように1つのマーケットになることを見込んでいる。今後5年間で、1990年代の日本の産業経済のリストラ時代に起こったような、企業淘汰・統合の動きが、アジア全体で起こってくるだろう。勝者は5カ国のどの国の企業かは分野ごとに異なると思うが、我々は大きな事業上のチャンスを見込んでいる。

――ビジネスロイヤーとして必要なものは…。

江尻 私はよく若い弁護士達に、「君たちが一人前になる時には、日本に君たちの仕事は無い」と言っている。だからこそ、入社して2〜3年で海外赴任して孤独な戦いに挑んでいる商社マンと同じように、弁護士も海外に行って一人で戦わなくてはならない。法律事務所は商社と同じく資産は人材だけで、人材の知識、経験と人脈とがあればやっていける。ビジネスロイヤーはお客様とともに生きていくもので、お客様は単にアカデミックな話を聞くために我々に仕事を依頼してこられるわけではない。我々が求められていることは、具体的な事実や状況のもとに、日本本社の取締役がどのようなビジネス判断をすれば善管注意義務に違反しないかをアドバイスすることだ。多様性があり、不安定でリスクの高いアジアでは、上手くいけば大きなリターンが得られ、ハイリスク・ハイリターンの典型的な市場で、法律家にとって腕を振るう格好の場所といえる。また企業の顧問弁護士はなるべく依頼者のそばにいることが重要である。そのような考えのもと、我々は北京とホーチミンに事務所を置き、さらに弁護士をアジア数カ国に派遣して、現場の状況を把握できるようにしている。

――状況に応じたアドバイス…。

江尻 一昨年、東アジア4カ国を回り、昨年はインド・シンガポール・インドネシアに行ってきたが、これらの国では、例えば現地で労働争議があった時に日本人経営者を監禁して、契約書にサインするまで帰さないこともある。警察に連絡しても解決には至らない。そういった状況を「有り得ない」と考える現場を知らない日本の本社の人たちに、「アジアでは実際に有り得る話だ」と伝えて、人命保護を優先して、取り合えずサインし、後に裁判で争うようなことを提案するのは我々の役割だ。アジアで日本企業の存在が加速化していけば、こういった問題は益々増えていくだろう。

――アジア内での契約も徐々に規格化されていく…。

江尻 英米では宗教はキリスト教で、法の支配のルールも尊重されているが、アジアは宗教、道徳や慣習は多様であり、法律もばらばらである。ただいえることは、我々が日本のM&Aで使っている契約書は、実は米国の様式だ。日本語に訳されたことで多少読みづらいところもあるが、今では定着した。それと同じように、英語の契約書をベースとした様式が中国や韓国などでも使われている。つまり、M&Aを行うにあたっての1つの標準様式が出来上がっており、我々は英語で話せば各国どこでも通じる。このような先端法務分野では中国語や韓国語を話す必要は無く、急速に広がっていくだろう。

――今後の海外展開の方法は…。

江尻 本当は、米国・英国のインターナショナル法律事務所のように、世界にオフィスを持っている事務所と提携するのが一番簡単なのだが、各国に持っているオフィスが現地で一番とは限らない。特に外資系の法律事務所は、現地で一番優秀な人材を採用するのは難しい。我々は多数のアジア現地の法律事務所・弁護士と付き合い、お客様のサービス・報酬やスピードへの需要に応じて、案件毎に一番適した事務所を選んで推薦し、一緒にサービスを提供できるネットワークを作ることを考えている。そのために、現地の事務所の人材を日本に受け入れたり、こちらから現地に派遣するなど非公式の業務提携を続けて、着実にネットワークを築いていく必要があると考えている。この点、私は過去にIPBA(環太平洋法曹協会)の事務総長を4年間務めたこともあり、非常に多くの、貴重な人脈を築くことが出来た。また私の事務所は、Lex MundiやPacific Rim Advisory Councilのような法律事務所のネットワークに所属している。現在、アジアで使っている4つの基本契約(技術援助契約、販売代理店契約、ライセンス契約とジョイントベンチャー契約)は、今から30年以上前、私が駆け出しの頃にひたすら作っていたものと同じだ。そういった、人脈や昔の経験をフル活用して、私は定年までの残り2年の間に、アジアでの業務展開の基礎固めを今後の抱負として取り組んでいきたいと考えている。そして、それが日本経済、ならびにアジア経済の、法の支配に基づく平和的手段による発展につながっていくと確信している。(了)