ミャンマーとの信頼関係を大切に

ミャンマーとの信頼関係を大切に

日本ミャンマー協会
理事(元駐ミャンマー・カナダ大使)
田島 高志 氏



聞き手 編集局長 島田一

――ミャンマーがここ半年〜1年で急速に変化してきている…。

田島 ミャンマーは今、本当に素晴らしい発展を遂げている。軍事政権からいきなり民主化という形になったが、押し付けられてそうなった訳ではない。イニシアチブを取る現政権は、「自分たちが民主化を望み、計画して、それが予定通り進んできた。だから後戻りは有り得ないし、前進あるのみだ」と宣言している。そして、その言葉どおり彼らは熱心に仕事をしており、だからこそ進むスピードも速い。

――民主化までの道のりは…。

田島 もともとミャンマーは英国から独立した時から民主主義だったが、独立後に民族間での争いが起こったために、軍事政権で国を治めようという流れになった。ミャンマーには135もの少数民族が存在し、その中で主となる民族は8つだ。一番大きな民族はミャンマー国民の約7割を占めるビルマ族で、残りの7つの民族もそれぞれ武装組織を持っている。そして、その8つの民族は英国から独立する際に各々独自の国をもちたがった。それを、アウンサン将軍が1947年2月のパンロン会議でひとつにまとめあげ、ビルマ全域を連邦制国家として英国から独立させたという経緯がある。しかし1947年憲法には「独立後10年経ったら、もう一度少数民族の独立について再検討する」という条項が入っており、そのため、10年間の議会制民主主義政治を経て、再びそれぞれの民族が独立を求める動きが出てきてしまったという訳だ。

――民族独立運動を押さえることが出来なかったために、軍事政権が始まった…。

田島 当時の首相だったウーヌーはネーウィン国防大臣にその収拾を任せたが、それがなかなか上手くいかなかったため、ネーウィンは1962年にクーデターを起こして独裁政権を敷いた。それが長い間続いたのだが、結局、一国社会主義・閉鎖主義で国内経済が疲弊していく中で、今度は民主化勢力による反対運動が起こり、1988年のクーデターで新しい軍事政権が生まれた。優秀な軍人である彼らはエリートでプライドも非常に高く、国の統一を求めていた。常に念頭には、少数民族との戦いを押さえて、安定した国を作りたいと考えていた。そして何よりも、安定した民主主義のミャンマーに戻ることを心から願っていた訳だ。

――そして2003年に民主化へのロードマップが発表された…。

田島 「民主化のためのロードマップ」は7段階となっており、その終着駅が2011年3月に実現された。アウンサンスーチー女史もその際に釈放された。彼女が解放された当時は、軍事政権に対する不信感で再びデモなどが起こることも心配されたが、そのようなこともなく、アウンサンスーチー女史は公の席で初めてテイン・セイン大統領への信頼を語った。それを機に政府は政治犯の釈放に踏み切り、欧米からの経済制裁も解かれた。そして、欧米や韓国、とりわけ日本では本格的なミャンマーへの援助を開始したという訳だ。

――ミャンマーに対する日本政府の支援活動について…。

田島 点数をつけるならば100点以上で、日本政府はよくやっていると思う。通常であれば日本の省庁間の調整や政治家の思惑で時間がかかりそうな問題も、ミャンマーに関しては、全く意見対立なく皆が一丸となって助けようとする体制があり、スピード感もある。過去一年は特にそうだ。ただ、これからの支援については難しい部分もあるかもしれない。今後のミャンマーには基礎インフラの導入や、教育など人材育成といった部分での支援が必要だ。特に人材を育てるという部分においては、長年の独裁体制の中で一般の国民は権力者の言うことに素直に従っているだけの状態が半世紀近く続いてきた。民主主義社会になったからといっても、しっかり自分自身の意見を持ち、判断して、積極的に発言し、動くようになるまでには暫く時間がかかるだろう。また、お互いの意見の違いを認め合いつつ調整をするというようなことも教えていかなくてはいけない。

――人材育成については、日本から現地に赴き、教育するようなことも必要ではないか…。

田島 ミャンマー人は誇りが高く、押し付けを嫌う民族だ。「Aをやれ」といわれると、わざとBをやるというようなところがある。そのため、何かを教えようとする際には、押し付けるのではなく、友情を持っておだやかに見本を示してあげるということが重要だと思う。そういった関係をじっくりと築き上げていくために、ミャンマー国内で日本語を広めていくような活動も必要ではないかと考えている。日本人が失ったような、遠慮深さや、つつましやかさ、しとやかさや穏やかさをもっているのがミャンマー人だ。現代社会の中で随分とドライになってきた日本人が、「SLOW BUT STEADY」という意識をもって、今後ミャンマーの人達との関係を大事に築いていってほしい。

――2015年、ASEANの貿易経済が一つになるが、そういったこともミャンマーが急発展を遂げている理由のひとつにあるのか…。

田島 そうだと思う。ミャンマー大統領の任期は一期5年で、テイン・セイン政権の今任期は2015年までだ。彼は少し健康面での心配もあるようで、一期中にミャンマーがASEAN経済共同体に加入出来るような経済的成果をあげ、現政権に対する国民の信頼を得たいと考えている。懸念される国内紛争については、現在はミャンマー北部に住むカチン族と国軍の紛争以外は臨時停戦協定が成立している。カチン族との紛争についても、彼らの権利を認め、生活水準などが上がってくれば治まる問題だと言われている。しかし、南西部のバングラデシュとの国境付近ではイスラム教徒による新たな紛争もあり、この解決については宗教的な問題もあってなかなか難しいようだ。

――日本政府はティラワ経済特別区に工業団地を作りミャンマーの開発に全面協力しているが、日本企業のミャンマー進出については…。

田島 ヤンゴン郊外にあるティラワ経済特別地区は日本に特別に与えられた非常に広大な土地であり、それをきちんと形にしていく責務がある。ただ、人材不足やインフラ不足という問題でなかなか進んでいないようだ。ティラワ港には2万トン足らずの船がインドやバングラデシュ、中国、ロシアなどから来ているというが、是非そこに日本の船も来るようになってほしいと現地の人々は言っている。まずは鉄道や道路、電気、水などインフラを導入することから始めていくのだろう。日本企業の多くはトップダウンで決定するようなことがないため、スピードという面では他の外国の動きにどうしても劣ってしまい、その辺りをもっと改善しなければ、中国だけでなく、欧米や韓国、さらにはタイなどにもどんどん追い越されてしまうという懸念がある。しかし、助走段階で目に見える成果がすこしずつだとしても、日本とミャンマー間の信頼関係を大切にしながら、しっかりとした協力体制を築き、最後には立派な結果を実らせてほしいと願っている。(了)