海洋への漏出続く放射能汚染水

海洋への漏出続く放射能汚染水

東京海洋大学
教授 理学博士
神田 穣太 氏



聞き手 編集局長 島田一

――原発による放射性物質の海洋への放出、拡散に対する研究を続けておられる…。

神田 地球上のあらゆる物質は海に向かって動いており、最終的には海を経由して海底の堆積物として溜まっていく。つまり、海洋は終着点の手前で必ず通過する重要な点ということだ。2011年3月の福島原発事故によって大気へ放出された放射性物質は、その7〜8割が海洋に沈着し、残りの2〜3割は陸上に沈着した。これに加えて、海洋に直接流された汚染水の分がある。陸上に沈着した分についても、雨などのはたらきで長い時間スケールでみれば最終的に海へ向かって移動していくと考えられる。日本のような湿潤な気候の場所でこのような大きな放射能事故がおこるのは初めてのことで、チェルノブイリなどの経験が役に立たない部分も多い。環境や健康への影響、さらに有効な除染方法を探るためにも放射性物質の輸送や拡がりについての科学的な追跡は必要だ。具体的に、事故後の海水の放射能濃度の変化を見てみると、事故当初、発電所周辺の海水中のセシウム137の濃度は一時的に非常に高くなったが、拡散や海水の流動によって1〜3カ月後には急速に低下した。しかし、その後の減少速度は明らかに遅くなっている。汚染水の放出が一度だけで、その後は止まったのであれば、海水中の放射能はその後ずっと同じ割合で減少していくはずなのに、減り方が遅くなったということは、汚染水の放出が少しずつ続いているからだとしか説明がつかない。

――しかし東京電力(9501)は、2011年6月以降、大規模な汚染水の流出はないと発表し続けた…。

神田 東電は先日、保管されている120トンものセシウム除去後の汚染水が地下に漏出したものの、海洋への漏出の可能性はないと発表した。しかし、今回のセシウムを含まない汚染水の漏出とは全く別の話として、原発事故後も継続して原子力発電所の周辺からセシウム137が海洋に流れ続けているというのは我々海洋の研究者の間では半ば常識になっている。私はその放出され続けている放射性物質の量をセシウム137について試算し、このほど発表した。具体的な数字は私の論文を見てもらえればわかるが、2012年4〜9月の間では、合計1兆4800億ベクレル、1日平均81億ベクレルのセシウム137が放出されていたと考えられる。事故のあった2011年3月や4月の放出量に比べればずっと少ないとはいえ、2011年の夏は1日平均930億ベクレル、そして昨年の夏が1日平均81億ベクレル、最近ではさらにその半分以下程度と減ってきてはいるものの、数字を見る限り、延々と放射性物質が放出され続けているとしか考えられない。

――原子炉の建屋の中に溜まっていた高濃度汚染水については…。

神田 原子炉を冷やすために注入していた水が、溶けた燃料棒と接触して中の放射性物質を溶かし出し、原子炉の建屋の地下に溜まっていた。その汚染水の放射能が量として最大だったのは2011年5〜7月だ。建屋の地下にあったセシウム137の量はおよそ160ペタベクレルと計算され、これはチェルノブイリ事故で放出された85ペタベクレルの約2倍、第二次世界大戦で広島に投下された原爆で放出されたとされる89テラベクレルのセシウム137と比較すると、およそ1800倍にものぼる量だ。この時の高濃度汚染水が漏れ出していたら史上最悪の原子力事故になることは間違いなかったが、それは東電が頑張って回避した。東電は最終的に汚染水を再利用したいと考え、各社の様々な技術を駆使して、汚染水のセシウムだけはなんとか取り除くことができるようにしたのだが、汚染水からすべての放射性物質を取り除くことは出来ていない。建屋の地下の汚染水を汲み上げてセシウムを取り除いただけでストロンチウムなど他の放射性物質を含む汚染水は今なおタンクの中にある。それが漏れたのが先日の事故だ。しかし建屋の地下では、汚染水を汲み上げて処理しても地下水が流れ込んで来てしまい、放射能は薄まっても汚染水の水量は一向に減らない。だからタンクに保管する必要のある処理済み汚染水は増え続けている。現段階では漏洩地点から800メートル離れた海までは届かないとしても、この先さらに漏出事故が繰り返されたり、かつ、今準備しているストロンチウムなどセシウム以外の核種を除去する装置が安定的に動かなかったりすると、事態は大変なことになる。鋼鉄のタンクはいずれ錆びる。プラスチック容器も劣化すればひびが入る。汚染水の問題は今回の事故の最終的な後始末をしていく上で、一番厄介な問題といえるだろう。

――我々の食卓にのぼる魚などへの影響は…。

神田 現在も続いている放射性物質の海洋への放出は、量としては事故当初の放出に比べればはるかに少なく、現在の放出によって2011年のような深刻な汚染が広い範囲で新たに発生するとは考えにくい。もちろん港湾周辺などでは、それなりに注視していく必要はある。水産物の放射性セシウムについては農林水産省のホームページに掲載されている通り、表層の魚の放射能は概ね大丈夫なレベルに低下してきているが、底魚や岩礁性の一部の魚種についてはセシウム放射能の減少速度が遅く、いまだに基準値の100ベクレル/kgを超えるものもある。今、福島周辺の海洋環境中で一番放射性物質が残っているのが海底の堆積物であり、海底で獲れる魚に放射能が基準値以下に下がっていないものがあるということは、そのことと関係があるように思われる。今回の事故による海洋生物の汚染は、高濃度の汚染水の影響を受けた沿岸海域の限られた範囲が中心になっている。広い範囲を回遊するサンマやマグロなどにはそれほど高い放射能値は出ていない。昨年、青森で基準値を上回るマダラが発見されるという例もあったが、それはもともと福島にいたマダラが青森まで泳いだのではないかと考えられている。また、生物濃縮については、農薬や重金属であれば大きな魚で海水の重量あたりの数万倍になると言われているが、セシウムに関しては、大きな魚でも約100倍、プランクトンでは10倍程度と、それほど極端な濃縮にはならないとされている。セシウムは比較的濃縮の少ない放射性核種であるといえよう。

――海底に生息する魚への影響が高いということは、東京湾への影響は…。

神田 放射性物質が海底の堆積物に残っていると言っても、陸上の土に沈着しているセシウムの量に比べれば、面積あたりで2桁、3桁違うほど低いものだ。原子力発電所周辺の5〜10km圏内を見ても、陸上では立ち入りを阻まれるようなレベルでも、海の中では、むしろ関東近辺のホットスポットと言われるような場所の方が、放射能レベルが高い場合もある。東京湾の海底堆積物からは確かに高い、場合によっては福島沿岸に匹敵するレベルの放射性セシウムが検出されているが、東京湾の魚介類のデータで規制値に届きそうな値は今のところ出ていない。今までのところは、事故による放射能物質の影響が出ているということではなさそうだ。

――そう考える科学的な理由は…。

神田 福島の場合は、先ず水が汚染された。3月末から4月上旬にかけて原子炉から高濃度汚染水が直接流れ出て海水が汚染され、次に堆積物に移行していった。それに対して東京湾は、大気経由で陸上に運ばれた放射性セシウムのうち、土壌粒子に結合したものが、水の流れとともに川を伝って東京湾に流れてきたという経緯がある。つまり、同じ海底の堆積物にある放射性セシウムでも、入ってきたルートが違う。陸上の環境では、土壌粒子と放射性セシウムはかなり固く結合する。そのため、例えば生き物が泥を飲み込んでも、体内に放射性セシウムが吸収されることなく排出される。そういう傾向が東京湾では強いのではないか。一方で、福島沿岸では高濃度の汚染水が直接海に入り、海水経由でプランクトンや魚などの生物体内に入ってしまった。海洋生物の体内のセシウムは、体外の海水中のセシウムと割りに早く置き換わっていく。生物体内に比較的速やかに放射性セシウムが入ったのはこのためだが、逆に事故の初期に激しく汚染された生物も、きれいな海水の中で生き続けていれば体の放射能は比較的早く低下したはずだ。しかし、汚染された時期の海洋生物の排泄物や死骸には、有機物として海底に沈んだものがある。そこで再び食物連鎖に入っていく可能性があり、これが繰り返されているのかも知れない。このように、福島沿岸域では海底堆積物の一部に、生物に移行しやすい形の放射性セシウムがあるのではないかと推察している。今後も気をつけて見ていく必要はあるが、私は東京湾の生物については、今後、極端に高い放射能値が出てくる可能性は低いと考えている。

――海中にいる魚よりも、地上の作物などへの影響が強いということか…。

神田 もちろん、陸上では人の立ち入りが制限されているようなところでは作物は作っていない。鍵はセシウムが一体どこに付着しているのかということだ。陸上でも、土壌粒子や鉱物粒子に固く結合してしまえば、植物の根からセシウムが吸い上げられることはあまりない。時間が経てば経つほどそういう状態になる。最近、規制値を超えた野菜がほとんど出なくなったのは、そういうことだろうと考える。ただ、海と同じで、生物や生物の死骸・排泄物などの有機物に含まれる放射性物質は、量としては少なくても、食物連鎖や生態系の物質循環によって動きやすい。例えば土から植物の根に伝わり、葉に伝わり、その葉が枯れて土に戻るというようなことが繰り返される。こうした移動を量的にきちんと評価していくことが重要だろう。陸上の生態系ではキノコ類やひまわりが一番地表の汚染物質をかき集めてくれるという話もあり、それを利用して除染をしようというアイデアもあったようだが、果たして汚染物質を集めたキノコやひまわりを一体どこに棄てるのか。汚染水の問題も同様に、原子力発電所の敷地内から溢れざるを得ない量になった時に、最終的にどこに持っていくのか。放射能で汚染された様々な物質は、除染作業などを通してさらに増えていくと予想される。こうした汚染物質の適切な管理が一番重要な問題だ。(了)