円高の恐怖で財政再建続かず

円高の恐怖で財政再建続かず

金融情報システムセンター前理事長
米澤 潤一 氏


聞き手 編集局長 島田一

――金融ファクシミリ新聞に一年間連載したものをまとめ、「国債膨張の戦後史」(金融財政事情研究会発行)という本を出版された…。

米澤 私はこれまで大蔵省(現財務省)日本銀行を通じて35年間、何かしら国債にかかわる仕事をしてきた。その後も大学院の講義で国債について語ってきた。国債というのは発行する側から見れば国の財政赤字を埋めるための借金という財政的な側面があり、一方で購入する側から見れば信用力と流動性を兼ね備えた金融資産が提供されるという金融的な側面がある。自分自身でこの両方の側面を見続けてきた結果、10数年前から、「国債には日本の財政の歴史と金融の歴史が投影されており、国債の歴史を辿ることによって戦後日本の財政金融史がわかってくる」という意識を持ち、少しずつ小さな論文を書き重ねていった。昨年9月にすべての職を退き時間の余裕が出来たところで、それらをまとめ、新たに書き加えるなどして、私の国債史の総集編ともいえるこの本を完成させた。

――大蔵省の仕事で一番記憶に残っていることは…。

米澤 まず思い浮かぶのは、1985年度の国債整理基金特別会計法の抜本改正だ。短期国債の発行、年度を越えた借換債の前倒し発行、そしてNTT株とJT株を国債整理基金に帰属させ、その売却代金を国債の償還財源に当てるという法律改正は、直接の担当課長だったこともあり一番印象に残っている。もう一つは、国債そのものではなく、歳出予算の話だが、私は文部省の予算を7年の間をあけて主査とその上の主計官として2度にわたり担当した。1975年度予算、主査のときは、普段は比較的変動が少ないはずの文部省予算が35%伸びるという大膨張予算を組まされた。そして、7年経った後の1983年度予算では主計官として、教育立国を誇る我が国としてはおそらく明治の学制発布以来初めてではないかと思われるが、文部省予算を前年比1%、510億円のマイナスとした。諸々の増える要因を呑み込みながらも、臨調答申を忠実に実行した成果だ。同じ文部省の予算で大膨張の灼熱地獄と前年比マイナスという寒帯の双方を実現するという大変珍しい経験をしたのも忘れ難い思い出だ。

――著書の中で一番主張したかったことは…。

米澤 日本の国の政府債務は現在1000兆円を超え、その内750兆円は国債だ。これほど巨額の国債を発行し、世界一の借金大国になるまでには長い歴史がある。決して一直線にそうなった訳ではなく、何度も「これではいけない」と反省をしながら財政再建努力をしてきた。しかしそれらはことごとく挫折してきた。そして、禁煙に失敗した人が以前よりも酷いヘビースモーカーになるのと同じように、財政も再建努力が挫折すると前より一層悪くなっていった。その足取りを細かくたどってみると、挫折の背景には、常に円高の恐怖があったように思う。まず、1971年のニクソンショックによって円高が進行し、それまで財政硬直化対策として取り組んできた財政再建努力は一瞬にして吹き飛んだ。さらに1985年のプラザ合意では、円高が続く中、日本銀行が金融緩和を続けたことで、その後のバブル景気とバブル崩壊後の金融危機と長期不況をもたらすことになり、未曽有の財政出動を余儀なくされた。結局、日本は外圧や円高の影におびえて財政再建努力が続かなかったという訳だ。

――バブル崩壊後は国債発行のためなら何でもありという状態になってしまった…。

米澤 国債は民間から資金を吸い上げ、民間資金需要を圧迫する。そのため、かつては「御用金」と忌み嫌われ、国債を増発すると民間との間で摩擦が生じ、それが国債暗黒時代をもたらした歴史もある。しかし、バブル崩壊後はこれだけ国債を増発しても摩擦のかけらもなく、むしろ、国債が無ければ金融機関は他に運用するものが何も無いという状態だ。つまり、民間に日本の富を生み出すようなまともな資金需要が無くなっているということだ。このように財政面でも金融面でも国債に依存しているということは、日本経済の弱体化に他ならない。経済を再活性化させるには、日本の活力を生み出すような新しいものを見つけて、新しい経済構造改革を行うことだ。王道はない。地道な努力を積み重ねるしかない。

――著書には1947年からの国債の歴史が紐解かれている…。

米澤 戦後、日本が国債を初めて発行したのは1965年度だが、財政法が公布・施行されたのは1947年であり、本書はそこから遡って書き始めている。公布後、一度も改正されていない財政法4条1項には、本文で「国の歳出は公債又は借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない」という非募債主義が記されているが、但し書きとして「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」とある。つまり、財政法制定当初から、形として残るものの財源については国債、いわゆる建設国債の発行を認めていた。この条項のもと1964年度までは一度も国債を発行することなく貫いていたが、1965年度に初めて国債を発行するに至った。そして、その10年後、ニクソンショックとオイルショックで日本は大不況に陥り、税収不足となったため、給与や社会保障の財源となる国債まで発行しなくてはならなくなった。これは財政法で禁止している「形にならないもの」にあてられている国債だ。

――それが1975度の特例公債法による赤字国債発行…。

米澤 そうだ。さらにもうひとつ付け加えると、財政法4条1項の但し書きで認められている建設国債は、借り換えをしながら60年で償還すればよいというルールがある。しかし、特例公債は財政法では認められていない国債であり、一時的に赤字を補填するだけの国債と位置づけられていたため、満期にすべて現金償還するというルールだった。しかし、満期が来た1985年度に、償還資金がなかったため、特例公債も借り替えをするようになった。こうしてみると、国債における財政規律は、偶然ながら不思議なことに10年毎に破られていることが分かる。なお、国債市場がこれまでの日本の金融自由化を牽引してきたのは誰もが認めるところだが、皮肉なことに、マーケットやインフラを整備して国債市場の環境が良くなったことによって、国債発行揺籃期に国債発行の行き過ぎを抑制していた市中消化能力の限界が無くなり、国債の歯止めが効かなくなってしまった。

――何故ここまで国債が膨張していったのか。この本でその歴史を知ることが出来る…。

米澤 国債について、マーケット側から見て細かいことを記した優れた本や、小説のように仕上げた話題本はたくさんある。しかし、時々の政府がどのように考えて現在の国債を形作っていったのかについて詳細に書かれた本はほとんど無いと思う。私が非常に若く感受性が豊かな頃に揺籃期の国債をつぶさに見てきた鮮烈な記憶からスタートして、何故ここまで国債が膨張していったのか、その時々の財政運営スタンスと、その背景にある政治経済状況、さらに根本的には世相の移り変わりなどを探って、それらを重ね合わせ、国債が膨張していった歴史を解説したつもりだ。読み出したらきっと面白いと思っていただけることだろう。この書が、後輩はじめ世の中の方々に何がしかのお役に立てることを願う。(了)