国家戦略構築のため、次世代への伝承を

国家戦略構築のため、次世代への伝承を

西日本シティ銀行
頭取
久保田 勇夫 氏


聞き手 編集局長 島田一

――「日米金融交渉の真実」(日経BP社)という本を書かれた。そのきっかけは…。

久保田 私は1970年代末から1990年代央にかけて国際金融政策の中枢である大蔵省国際金融局に一貫して身を置いた。いわば参謀本部に引き続き勤務したということだ。当時、日本は国際金融界の最盛期で、日系銀行のユーロ残高が世界の3分の1を超えていたり、日本企業によるコロンビア・ピクチャーズやロックフェラーセンターの買収なども行われていた。そして日本の金融力が世界のナンバー・ワンになるかもしれないという雰囲気の下で、米国は日本に対して色々な要求を持ち込んだ。その間、私は1984年の「日米円ドル委員会」では財務官室長として、89~90年の「日米構造協議」では大臣官房調査企画課長として、そして93~95年の「日米金融サービス協議」では日本側の議長として日米の金融交渉に携わってきた。この、いわば日米金融戦争の真っただ中に起こっていたことを書き記し、その教訓を世に残したいと考えたからだ。

――「日米構造協議」で日本は10年間に総額430兆円の公共事業を行うことを宣言した…。

久保田 この交渉はかなり難しかった。米国は「ISバランス論」を持ち出して、わが国の経常収支黒字を削減するために公共事業を拡大せよと主張した。わが国は、対米貿易黒字が相対的に減りつつあること等を主張して抵抗した。結局10年間で430兆円の公共事業をすることを約束することになったが、後日、その背後でわが国の公共事業官庁とそれを支援する政治家の動きが相当程度あったことを知り、大変遺憾に思った。

――国際金融交渉に巧みな英語力は欠かせないと思うが、その他、重要なことは…。

久保田 日本側の意志を伝える際には、何故そういった結論に至ったかという理由をきちんと英語で述べて相手を説得しなくてはならない。そうして日本に有利な結果に導いていく。そういった点では、私は相当しっかりした交渉をしたと思う。また、基本的に欧州では主張している論理や哲学が重要視され、それに沿わなければ合意に至ることはないが、米国の場合は必ずしもそうではない。先方はとにかく頑張るので当方もとにかく頑張るしかない。もう一つ、米国では業界が満足するかどうかが非常に重要視されるようだ。そういう特徴に着目して上手く交渉をした局もあった。NYに3年間滞在したこの局の担当者は、この業界のことを良く知っていて、「あなた方の業界が現在この法律で酷い目にあっているのか、具体例を示して言って下さい」と先方に迫った。

――この本は、クロスボーダーでの企業間交渉にも役立ちそうだ…。

久保田 そうだと思う。特に英語について言えば、一般的に米国人は繊細に言葉を選ばない。他方、こちらから言葉で繊細なニュアンスを伝えようとしても伝わらない。「イエス」か「ノー」か、どっちを向いているかがポイントになる。一方で、欧州では厳密に言葉を選んで話をするため、最初の会話だけで、どこまで譲るのか、粘るのかが注意して聴けばわかる。ちなみに私は英国のオックスフォード大学で英語を学んだが、米国の名門大学で学んだ大蔵省の先輩とは、英語での手紙の書き方を巡って意見が対立することがしばしばあった(笑)。今回の著書にはそういったことも盛り込んでいる。当たり障りのない事実だけを残すのではなく、国際金融交渉が行われていた現場で起こっていたドタバタ劇や失敗談もありのままに残している。読者の皆様にはこういう点も含めてこの本を今後のために活用してもらいたい。

――当時の交渉では日本は米国に勝っていたかもしれないが、バブル崩壊後の日本経済は暗黒の時代が続き、結局、米国に負けてしまったという意見もある…。

久保田 色々な見方があると思う。局地戦では勝っても大局ではどうなのか、さらには、負けた方が日本のためになったというような見方もあり得る。例えば、コメの関税について言えば、日本の国際交渉力がこれほど強くなければもっと自由化が進んでいただろうという見方もある。或いは、外為管理法では米国が求めた以上に自由化が進んでしまった。これは、他の国内の規制や慣行に手をつけずに国際金融取引だけを自由化してしまったことが背景にあるが、それによってわが国の国際金融センター化が大きく進んだかというとそうでもない。

――御自身が行った日米交渉を振り返って、改めて感じることは…。

久保田 戦略性においては、米国はとても凄い国である。例えば、昭和12年に日米野球の為にベーブ・ルースなどが来日したが、それに随行した映画のクルーが、その機会に、日本の病院の屋上に上って東京のまわりを撮影して、その映像が昭和16年に始まった太平洋戦争の際に活用されたとされている。爆撃機のパイロットが「あの映像で見たとおり、富士山を目がけて飛行して東京に向った」と述べている。数年前に日米開戦の可能性を予測し、その準備をしていたということだ。

また米国は、一度やろうと決めたことに関しては皆一体となってシステマティックにかかってくる。「今、これが正しい」と思ったら、過去のこともすべて捨てて一気に方向転換する。そして、その戦略性は大変に緻密だ。例えば、現在のTPP交渉では関税以外に国有企業の問題など様々な議論が行われているが、その論点は米国が円ドル委員会や日米構造協議で言い続けてきたこととほぼ同じだ。一方、日本は戦略性が十分でない。これは大きな欠点だと思う。そして残念な事実として、日本の知的レベルは第二次世界大戦で大幅に下がってしまった。1980年代の後半、宮沢喜一大蔵大臣の下で仕事をした時に「日本にも欧米に対してコンプレックスを持っていない大臣がいたんだなぁ」と感じ、ホッとしたものだ。

――日本では「日本国としてどうあるべきか」という議論があまりされない。これは欧米と大きく違うところだ…。

久保田 モノを作り出す産業分野では相手との差が明確に目に見えるため、頑張ろうというモチベーションが生まれる。しかし社会科学の彼我の差は見えにくい。社会科学分野での欧米と日本の差は大変大きいように思う。その結果として、一般的に言って社会科学に関しての水準は、それ程高くないのではないか。法律学や経済学、更には社会学で、世界的にこれは大家だという人がどれほどいるだろうか。いずれにしても、一つの国が栄えるかどうかは、色々な分野の総合力にもかかっていよう。その為にも、国の各分野で人と異なった経験をした者が、その経験と感じたことを次の世代の人に伝えることが大切だと思っている。(了)