戦略も戦術もない国立大学法人化

戦略も戦術もない国立大学法人化

熊本大学元監事・国立大学法人等監事協議会元会長
高橋 誠一 氏


聞き手 編集局長 島田一

――「国立大学・法人化の幻想」(中央公論事業出版)という本を書かれた。幻想とは…。

高橋 私は平成16年4月にスタートした国立大学法人化プロジェクトの中で、国立大学法人の常勤監事として7年間在職し、国立大学法人等監事協議会の会長を2年間務めたが、私が考えている法人化と文部科学省周辺が考えている法人化はその思想・発想においてまったく違っていた。法人化にあたっては、6カ年中期計画として文部科学省と大学法人各部局との間で夥しい数の目標項目が決められるのだが、年度予算との関係からそれらの達成度は年度毎に評価される。そうやって1年毎に右往左往して1期6年が過ぎ去り、現在2期目半ばを迎えている。経常運営費こそ毎年1%カットされているものの、これまでに一体何をやったのかと問われても、そこにはこれはという答えはない。そもそも、法人の構成員自体が法人化の本質が何なのか、6年間でやり遂げるべき事が何なのか解かっていない。そこには「文部科学省がお金を出すから、運営、つまり、やりくりをしてください。経営は必要ないですよ」という暗黙の了解がある。目先の事だけを考えて1年1年をやりくり出来ても、本来の中期目標は何も達成出来ないし、本来の改革が実現するはずがない。

――国立大学法人化にあたっての中長期の目標はどのようなものであるべきか…。

高橋 法人化の大きな目的は、組織を活性化させるため、個性化・多様化を図るため、財政的な自主・自立のため、そして効率化のためだ。その他にも国際化のためや、そういうことも含めて国際的に魅力的で競争力のある大学にしていくためということが挙げられるが、各大学が置かれている状況やその歴史、環境によって、将来の目標や構想は違ってくる。その目標に近づくための戦略を立て、実現するための戦術を駆使するという明確なアプローチをしなければならないのだが、今の国立大学法人にはそういったアプローチは皆無だ。あったとしても、その目標が達成できたかどうか世間が納得するような検証方法はない。つまり、PDCA(計画→実行→評価→改善)の対応が機能していないということだ。更に言えば、PDCAの思想・発想そのものが依然として異文化になっている。

――何もしなくても文部科学省から税金が支給されるのであれば、改革の必要性は感じない…。

高橋 結局、国立大学は文部科学省が保有する鳥かごに喩えられる。学長はそのかごの中で鳴いている鳥だ。大枠はすべて文部科学省の意見が尊重され、かごの大きさも同省が決める。大学の評価をする際にも、外国人が何人来たか、世界の大学ランキングの中でどのように上下したかといった相対的なことでの評価ではなく、絶対評価だ。自己満足で独りよがりの絶対評価が何の意味を持つのか私にはわからない。また、人事についても年功序列という今までの流れの中で、なんとなく上に昇ってきているという感じだ。それでは組織の活性化は望めず、法人が社会の変動に対して立ち向かう力もつかないのは当然だ。

――民間企業にはきちんとした会計制度があるが、国立大学法人については…。

高橋 法人化をスタートするにあたっては、これまで採用してきた単式簿記の現金主義会計、いわゆる大福帳会計をやめて、発生主義の複式簿記を取り入れた。発生主義の財務会計で貸借対照表、損益計算書、キャッシュフローステートメントの3表を年度比較すれば、法人全体の実態がきちんと把握でき、改善しているのかどうかが明らかになるからだ。現金主義の大福帳会計では何も明らかにされない。しかし実際には、大学の担当者が従来からの単年度会計の仕組やカルチャーから抜け出せず、発生主義という発想への転換が出来ていないのが現状であり、悪貨が良貨を駆逐するよい事例だ。現行の財務会計基準は世界で最も理解し難い基準であるが、そのために経営的には床の間の置物となっている。或る財務会計基準においては粉飾まがいの処理がビルトインされており、本来手段であるべき基準が目的化している。そして、この理解し難い財務会計基準について日本公認会計士協会がお墨付きを与えている。それもおかしな話だ。

――役所には、年度予算を使い切るというDNAが刷り込まれている…。

高橋 過去、現在、将来という時間軸の中で法人の業務が展開されるという動態的な思想・発想が欠落したままで、現在のように静態的な発想に漫然と依存していたのでは、いつになっても経営陣は実態を掌握できない。そして適切なガバナンス・コンプライアンス・アカウンタビリティが保証されないという風土・カルチャーが存続することになる。本来、監査役や経営協議会の外部役員や学長選考会のメンバーなどがきちんとチェックして、おかしなところを問い質していくシステムを確立しなくてはならないのに、そういった制度が適切に機能するためのカルチャーや仕組みは驚くほど進化せず、関係者の意識も依然低いままだ。それは日本の大企業がなかなか社外取締役を採用しきれないという問題と本質的には同じで、ある意味、日本の組織のDNAだと私は思っている。

――しかし、国際化の中では、そういったものをすべて変えていかなくてはならない…。

高橋 海外の大学などが日本にきてくれれば、それが一番良いのかもしれない。大学教職員も国内のみならず外国との交流をもっともっと盛んにして、これまでにどのようなことを経験し、どのような実績を残したかが次ぎの仕事のメルクマールになるシステムをつくりあげるべきだろう。同時に、年功序列型で非常に細かく決められている大学教職員の給与制度は早く廃止すべきだ。将来年俸制になった場合の退職金の問題などもあり、実現は容易ではないということも承知しているが、法人化までの2期12年があれば何か出来るはずだ。

――米国のアイビーリーグのように寄付制度を充実させることで、優秀な人を輩出した大学がさらに伸びるような仕組みを作り出すという手もある…。

高橋 アイビーリーグとステートカレッジでは基本的な制度が違うが、確かに日本には寄付文化がなかなか根付かず、お金が大学に集まらないというのは問題だろう。勿論、税制度も重要だが、例えば米国では個人で3000万ドル寄付するような人もいる。その額は別としても、例えばハーバードビジネススクールなどでは学長が学生をどのように育てて社会に送り出すかということについて、社会に対してアピールする力を持っており、年次ごとの卒業生幹事の強力なバックアップもあり、お金を出そうという気にもなる。日本の大学に、「自分の大学をこういう風にしたい。こういった人材を社会に送り出したい」 と世間に向かって堂々とアピールできる学長がどれだけいるだろうか。また、ハーバードビジネススクールでは毎月、成功者の事例や、現在進行中のプロジェクトを魅力的に報告する等情報発信力がタイムリーかつ優れており、それを読んだ学生達がますます自分自身の為に勉学に励み、さらに、その大学で働いている職員も誇りを持って生き生きと仕事をするという好循環が作り出されている。そういった大学をアピールする力は日本が学ぶべきところだと思う。

――国立大学法人化は国民のためのはずなのに、国民のためになっていない…。

高橋 我々のような民間で経営する人間にとって、時間は非常に重要だ。3年や5年という時間軸で目標を定めて、その達成のために日々努力し、毎年チェックし、修正を重ねて、実現させる。しかし、国立大学法人には時間軸という感覚がほとんど無い。そもそも文部科学省は最初、国立大学法人化を嫌々ながらやっていた。きつい言い方をすれば、国立大学法人は第二の原子力村だ。いままで述べたような状況では国立大学法人化に対する国民の期待に応えることはとても出来ない。文部科学省のある幹部は「10年後、世界大学ランキング100校の中に日本の大学10校を入れたい」と発言していたようだが、一体全体、どのような思慮の下にそういう発言をされたのか。戦略も戦術も無い中でそれは雲を掴むような話だ。

――文部科学省は教育の現場を全く理解していない…。

高橋 私は実際に現場にいて目にしたことを今回の著書に綴ったが、文部科学省の人達はこういった内容に非常に疎く、学長レベルの人達も理解していない。それは恐ろしいことだ。職員の教育も本来的な意味での進化に乏しく、主要なポストはいつも文部科学省からの「異動官職」で埋められている。法人執行部の片腕となるべきはずの職員の人材育成はこの9年間、不毛の期間だったといっても過言ではないだろう。もっと内外の人材交流を盛んにして、将来、経営をサポート出来るようにしなければ、その大学の存続は危ない。制度的な面における喫緊の課題としては、先ず、学長の権限を強化することだ。さらに、付属病院の財務会計を大学から分離・独立させることも急務だ。変動の激しい付属病院を大学の会計と一緒にしてしまうと、他の部署の財務状況が足を引っ張られる。法人ホールディングカンパニーの下に付属病院の財務会計を分離・独立させるような仕組みが必要だと思う。これには厚生労働省も絡んでくるため難しいのは百も承知だが、それをやらなければ明治維新、第二次世界大戦後に匹敵する第三の改革とは言えない。文部科学省には本来的・本質的な意味での法人化改革が正々粛々と進行するよう、国民の将来のために大局的な指導・監督を行うことが切望されるのであり、既得権を擁護するかのような枝葉末節に拘る現状維持の指導・監督体制は、一刻も早くこれを棄却して欲しい。文部科学省には同省の依頼から拙著「国立大学・法人化の幻想」を届けたが、こうした現場や民間の声に真摯に耳を傾けるべきだろう。(了)