中国経済の出口なお見つからず

中国経済の出口なお見つからず

ジャーナリスト
富坂 聰 氏


聞き手 編集局長 島田一

――今年の中国全人代(全国人民代表大会)のテーマは…。

富坂 今の中国は経済構造の転換をどのように進めていくかで迷っている。そういった面で今年の全人代は、これまでの改革・開放政策をさらに深めていく「全面深化改革元年」として位置づけられている。具体的には、昨秋開かれた三中全会(党中央委員会第三回全体会議)の決定項目を具体化していくことが大きなテーマだ。三中全会の決定事項は90項目以上あり、それを簡単に説明するのは非常に難しいが、主要事項の一つには「国有企業改革」がある。中国で今一番潤っている国有企業の利益をいかに分配していくかが論点で、上納金の割合をどの程度あげていくのかが注目されている。その他、改革の対象となるのは、農業、金融、通信、石油化学、環境といった業界で、特に保険を中心とした金融の改革・開放については日本からも非常に注目されている。

――今、中国で一番お金を持っているのは国有企業だと…。

富坂 この30年間中国は発展し続けているが、その主役は変化している。もともと中国には戸籍がなく、企業が自治体の役割も担っており、社員証がいわゆるID代わりになっていた。企業によっては映画館も、売店も、大きなところでは刑務所まであったほどだ。企業に属しているか属していないかは当時の中国において非常に重要であり、その企業は大きければ大きいほどよかった。つまり勤めている企業がその人のステータスとなっていた訳だ。しかし、社会主義体制の中で余剰生産物の売買が認められるようになると、配給制という物資不足の中では生産物を作れば作るだけ売れるため、農民が潤い始めた。そして、その農民富裕層の中から、今度は起業する人や、香港から衣類を仕入れて道端で販売するような商人が生まれ、彼らが成功を遂げると、今度は農民に代わって彼らが力を持つようになった。もともと企業に属することが出来ずに道端で商売を始めた人達が、80年代後半では社会のトップに立っていたということだ。さらに90年代はリストラの時代となり、そこで最も低迷したのは国営企業だった。

――90年代に非効率な社会主義経済を象徴する国営企業は一旦衰退した…。

富坂 当時、国営企業に変わって台頭してきたのが新興の民営企業だ。しかし、2000年代に入ると中国政府が国有企業を強くするという政策に転換し、05年頃には「民から官へ」という流れで国の管理が厳しくなっていった。そして、リストラが成功した国営企業が国有企業となって再び息を吹き返した。例えば、当時の自動車産業は自社ブランドを捨てて海外の車を製造するというように、メーカーから生産工場への転換を遂げ、それによって工場労働者の給料が従来の2~3倍に増えた。もともと成長の可能性を秘めていた国営企業が、リストラで無駄なものをそぎ落として復活し、今では国からの保護の下で大きくなってきているという訳だ。現在の国有企業の全社員の平均年収は70万元(1元17円換算で約1200万円)を超えている。出稼ぎ労働者やレストランの給仕係など、人口的に一番多い層の平均年収が30~50万円であることを考えると、かなり優遇されていると言えよう。ちなみに公務員は大臣クラスが20万元(約340万円)で、国有企業に比べて安すぎるという印象だが、実際には国有企業からの賄賂があり、3000万円以上は手にしていると言われている。リーマンショックの時に中国が4兆元という巨額の投資で乗り切ることができたのも、その4兆元の引き受け先がすべて国有企業であり、一元たりとも他の民間企業には流れていなかった。これは大きな問題だと思う。

――リーマンショックで放出された4兆元がさらなる賄賂天国を生み出してしまったと…。

富坂 中国はリーマンショック後もお金を流し続け、その溜まったお金が豪華なマンション建設ラッシュを生んだ。しかし、そこに住むにはそれなりのお金が必要であり、結局、投資活動は活発に行われていても住む人のいないたくさんの「鬼城」を作り出してしまった。そういったお金の回り方に対しては政府も心配している。中国国内に溜まったお金を適切に徴収し分配するシステムがあれば、社会保障などをもっと手厚くしたり、或いはインフラの整備に回すようなことも出来るのだろうが、中国ではお金を持っている人の力が強すぎるため、そこから徴収することは難しく、なかなかそういったことが出来ない。この歴史を断つことは難しい。ただ、日本のバブルと違って、中国の場合は多くの土地の売買が借金ではなく現金で行われているため、バブルが崩壊してもその問題を吸収できる余地は日本よりもあると思う。一方で、新興国としての期待値から海外の先物買いの投資を多く受け入れ、それによって支えられている部分は大きいため、仮にバブルが崩壊し、海外からの資金が撤退していけば、それは中国にとって大きな痛手となろう。それが一時的なものではなく、中国全体の後退につながることが一番懸念されるところだと思う。

――中国の経済構造の転換については…。

富坂 中国が成長するにつれて徐々に人民元の価値は上がり、労働者賃金が上昇し、3K(きつい、汚い、危険)の仕事を嫌がる新世代が生まれてきた。さらに生産年齢人口の減少などいくつかの要素が重なっていくと、中国が世界の工場であるための条件が失われつつある。そうなると、それまでの中国のメインエンジンだった貿易や製造業は縮小し、新たに中国という広大な国を動かしていくエンジンを見つけなければならない。そこで中国政府は、一旦、公共事業による景気拡大を図ったのだが、公共事業をやればやるほど、その発注者である官僚と仕事を受注する企業の関係は深まり、お互いの懐が肥えていくという構造になってしまった。他の成長源がみつからない限りこの流れは変えられない。2012年3月には製造業からサービス業へという経済の構造転換を唱えはじめたが、サービス業が中国のメインエンジンになる可能性は低いだろう。結局、公共事業あるいはそれに付帯する不動産投資でかろうじて火を保っているという状況で、その出口はまだ見つかっていない。これまでプレーヤーだった中国がプレイングマネージャーに変化を遂げようとしている最中ではあるが、この席はそんなに余っていないというのも現実だ。今の切り替えの段階は非常に難しいところだろう。ただ、これまでの改革開放政策でも、例えば自動車産業に門を開けばそれだけ外資が入ってきてその業界が活性化してきたように、まだ開けていない扉はある。その開けていない一番大きな扉が金融の部分だ。特に保険の部分を開けていくかどうかは今後の中国の大きなポイントになると思う。

――中国の内陸部にはまだまだ拡大余地があるのではないか…。

富坂 中国では社会主義という都市政策の枠の中で移動の自由が認められていなかったため、例えば沿海地域に工場があれば、各地方自治体が沿海部に人材を派遣するというように、企業ではなく人材を移動させるというシステムを作った。しかも出稼ぎしたい人はたくさんいるため、自治体は派遣期間を決めて定期的に人を入れ替えた。それは、企業側も賃金を上げる必要がなくWIN―WINのシステムだといわれていたが、そういったことを繰り返すうちにインフラは沿海部に集中し、内陸部の人材派遣も一巡してしまった。そうなると、もはや低賃金で人を雇うことも期待できない内陸部にわざわざ行くメリットはない。しかも製造業の場合は労働者の最大のライバルは機械であり、実際に内陸部では労働者をどんどん減らして機械にしている工場もある。2012年3月の全人代で、製造業がもはや中国の発展に即した産業ではないと位置づけたのも、こういった背景からだ。

――中国では国内暴動が頻繁に起こっているようだが、日本との関係については…。

富坂 中国では今でも年間20~30万件の暴動が起きている。少数民族の暴動であれば政府もなんとか抑えることは可能なのだろうが、人口の90%を占める漢族が不満を募らせ暴動を起こせば、それは止められない。日本との尖閣を巡るトラブルでも、どんなに両政府が望んでいなくても、今のように政府間の接触を持てずにお互いがブレーキを持たない状態で対峙していれば、戦争にだってなりかねない。例えば、尖閣諸島に誰かが無理やり上陸しようとするのを阻止しようとして、万が一、どちらかの国民が死亡してしまうという事故が起こった場合、戦争はすべきでないと頭ではわかってはいても、それを発言することで選挙に落ち、自分の政治生命が絶たれるのであれば、政治家は口を閉ざしてしまうだろう。結局、日本も中国もポピュリズムという点では同じであり、自分の身を守るために誰も何もいえない状態になっている。それは日中間にとって大変不幸なことだ。また、安倍総理の靖国神社参拝についても、私は安倍総理が一体何をやりたいのかわからない。戦後の日本を振り返れば、日本はどこの国とも戦うことなく世界第二位の大国にまで発展してきた。その発展を導いたことこそが日本の成功であって、「世界に通用する価値観」をもっていた証明でもある。独り勝ちが許されない国際社会にあって日本の現実はそれほど悲観するものではない。それを忘れて、あたかも日本の価値が戦前にあったと考えることこそ本当の自虐ではないだろうか。おびただしい犠牲者を出した上に全面降伏という最悪の事態に至った過去が戦後の日本より優れていたという理屈が私には分からない。(了)