ウクライナ東部の展望は読めず

ウクライナ東部の展望は読めず

慶應義塾大学
総合政策学部 准教授
廣瀬 陽子 氏


聞き手 編集局長 島田一

――8月25日に「未承認国家と覇権なき世界」(NHK出版)という本を出された…。

廣瀬 この本は、未承認国家について包括的に述べると共に、いくつかの事例を紹介しているが、未承認国家のレトリックが利用されたロシアによるウクライナのクリミア編入や、9月5日に停戦が発効したとはいえ、未だに混乱が続くウクライナ東部が未承認国家化する可能性が否定できないことなど、現在のロシアとウクライナの問題についてもカバーしている。これらを含む未承認国家が今後どうなっていくのか、先行研究や自身の経験をもとにいくつかのシナリオを提示しているが、クリミアに関しては、少なくとも当面はロシアに編入されたままになると予測している。その理由はいくつかあるが、最も大きいのは国際社会の暗黙の承認であると思われる。国際社会は、ウクライナ東部に対するロシアへの制裁は次々に発動させているが、クリミアに関して発動されたロシアへの制裁は非常に軽微だった。つまり、国際社会はクリミアの今の状態を消極的ながら受け入れている感がある。特にドイツやフランス、イギリスといった欧州の大国がロシアと緊密な関係にあり、これらの国が今年3月にクリミアがロシアに編入される時に目を瞑ったという経緯をみても、加えて、ある意味ウクライナと同じ立場にある旧ソ連諸国のベラルーシとアルメニアが編入を支持したことから考えても、短期的にはクリミアがウクライナに戻る可能性は低そうだ。ただ、ウクライナでインタビューをすると、多くの知識人が最低3~4年はかかるが、クリミアは必ずウクライナに戻ると強く語るのが印象的だった。

――ウクライナ東部については…。

廣瀬 ウクライナ東部に関しては、停戦協定が締結されたとはいえ、暫く揉めると見ている。ウクライナ東部は炭鉱や重工業で栄え、ソ連、そしてロシアの軍事産業も支えてきた戦略的な意義が高い工業地域であり、これまでロシアと親密な関係を築いてきた。そして、ウクライナ東部の住民は、他の地域と比べてロシア人比率が高く、ウクライナ人であっても当地住民の多くはロシア語を使用してきたこともあり、ロシアはこの地域をまるで自国の一部のようにして持ちつ持たれつの関係を維持してきた。そして、その東部がウクライナ全体の経済を支えてきた。だが、ウクライナ危機により、東部でウクライナの主権が及ぶ地域は現在、かなり少なくなってきている。このような状況の中で、ロシアのプーチン大統領は当初、ウクライナの連邦化を要求したが、現在は東部が準国家的な地位を確保すること、つまり高レベルでの自治やロシア語の使用権が保証されることはもちろん、ロシアの経済圏に入ることなどまで見据えた将来像を描いている。停戦が発効しても、散発的に武力対立が続く現在、ポロシェンコ大統領はウクライナの一体性を守るという至上命題とロシアの脅威のなかで苦悩をしている。

――ウクライナの実情は…。

廣瀬 先月末に一週間程ウクライナに調査出張に出掛けた。8月24日のウクライナ独立記念日にも、首都キエフで軍事パレードを見たり大統領の演説を聞いたりし、ウクライナ人のナショナリズム、そして統一国家を守り抜く強い意志を痛いほどに感じた。だが、キエフのみならず、ウクライナ西部や南部でも現地調査し、各地でインタビューなどをする中で、ウクライナの未熟さを肌で感じざるを得なかった。たとえば、現地の知識人に今の状況を聞くと、「ロシアが悪い」、「欧米が支援をしてくれなかったのが悪い」という答えが非常に多かった。ウクライナの近年の経済状況は極めて深刻で、現在、IMFなどの支援を受けてもなお、経済展望は非常に暗い状況にあるが、今後どうするのかと聞いても「欧米が助けてくれる」という答えが多く、また、ウクライナの軍拡を強く訴えるポロシェンコ大統領の下で、果たしてその費用はどうするのかと聞くと「欧米やIMFが出してくれるだろう」という答えが多いという状況だった。国家統一を強く願っていながら、独立自尊の精神は感じられなかった。実は、今回の出張中に西ウクライナのリヴィウで、全ての現金とクレジットカード入りの財布を掏られてしまい、警察に丸一日お世話になるという貴重な体験をしたのだが、そこには次から次へとスリの被害者がやってきた。彼らは皆一様に「残念なことだけど、そういう国だから」とあきらめ口調で言う。その時、私はウクライナではスリが当たり前の現象として捉えられているのだと悟り、ある意味、外国からの支援に頼ろうとする姿勢も当然なのではないかと感じてしまった。ウクライナを「マフィア国家」だと称する政治学者は少なくないが、今回、その意味がよく分かった気がする。まさに身銭をきって学んだことだ。

――ロシアがウクライナにこれほど固執する理由は…。

廣瀬 プーチン大統領は昔から「ソ連解体は史上最大の失敗だ」と言い続けている人物だが、だからといって、今や主権国家になっている旧ソ連の国々を再び統合させてソ連を復活させるような荒唐無稽なことは考えていないと思う。ただ、それに準じる形でロシア主導による経済共同体構想を着々と進めており、すでに隣国ベラルーシとカザフスタンとは関税同盟を結んでいる。実はこの共同体の中に、シャムの双子とまで言われるほどロシアとの共通性が強いウクライナを入れたかった。歴史的に見ても、ソ連解体後にウクライナの現在の国境が出来るまでは、ウクライナはロシアの一部だと考えられてきた。ロシア人はウクライナがまるでロシアの一部であるかのように「マロ・ロシア(小ロシア)と呼んできた経緯もある。このため、ソ連の根幹を成していたスラブ系民族のロシア、ベラルーシ、ウクライナの3国がすべて関税同盟に入らなければソ連の面影はなくなり、現在進められている関税同盟は全く体を成さないことにもなるからだ。しかし、ウクライナの多数は欧州側を向いてしまった。

――ウクライナが分割されるということはないのか…。

廣瀬 ソ連解体直後ならともかく、その後、独立・ウクライナとして試行錯誤して国民統合を目指してきた中で、今更ウクライナを分割するようなことなど、今のウクライナ人は許さないだろう。さらに昨年末から現在に至る危機の中でウクライナ人のナショナリズムの高まりはピークに達しており、ウクライナの統一を守るという強い意志が至る所で叫ばれている。このような中では、国を分断するような事はなおさら考えられない。とはいえ、統一国家の維持を掲げながらも、ウクライナにおいて独立自尊の気概が感じられないのも事実だ。ソ連時代は無料で、そしてソ連解体後もロシアから安価でガスを購入してきたウクライナでは、効率や節約という概念が乏しく、一つの製品を作るのに他国の3倍の電力を使うほど経済効率が悪く、それが現在のウクライナ経済の悪化や環境汚染につながっていることは常に指摘されてきた。ロシアがウクライナに対するガスの供給を止め、今後の供給は「前払い制」をとるという措置をとったのも、52.44億ドル分ものウクライナのガス料金の未払い(2014年5月末までの累計額)があることが原因だ。ウクライナはもちろん、欧米もロシアのウクライナへのガスの供給姿勢を激しく批判しているが、ロシアの主張も当然といえば当然であろう。

――ロシアが一番守りたいものは…。

廣瀬 歴史的認識を守り抜くことや、ロシア系住民の保護など、複合的な背景があって今回のロシア対ウクライナの緊張状態が勃発したわけだが、それらに加え、ロシアの行動の大きな動機として、ロシアが、NATOの基地がウクライナに設置されることを何としても阻止したかったことがあるだろう。クリミア半島南西部に位置するセヴァストポリの軍港とロシア軍黒海艦隊は何としても守る必要があった。1954年に当時のソ連共産党第一書記であったフルシチョフがウクライナに割譲するまで、ロシア帝国ならびにソ連のロシア連邦共和国の一部だったクリミア半島を取り戻す事はロシア人の悲願であり、その証拠に今年3月のクリミア奪還によってプーチン大統領の支持率は一気に上がった。一方で、ウクライナ東部を編入する考えはロシアにはないと言って良いだろう。ロシアはソチ五輪に9兆円とも言われる大金を費やしたが、それに匹敵する費用がクリミア編入にかかると言われている。何故なら、外国だった地域をロシアの一部とするわけであるから、インフラを全て作り直す必要があると共に、当地住民がロシアに住むことを幸せに思えるよう、ウクライナ時代よりもより充実した社会保障や年金などを保証していく必要があるからだ。そして、同じ事をロシアがウクライナ東部に施す余裕は全くないと言われている。現在、東部では停戦が合意されているものの、今後の東部の地位についての交渉はかなりの難しいものとなるであろう。準国家的な地位を目指す親ロシア派の主張を、統一ウクライナを目指すウクライナ政府が容易に受け入れるとは考えにくい。交渉が決裂すれば、このまま現状が「凍結」されてしまい、ウクライナの東部が未承認国家になってしまうという結末も無きにしもあらずだ。未承認国家については冒頭で紹介した著書に詳しく記しているが、ウクライナ東部で8月半ばまで指揮を執っていた人物が、旧ソ連の未承認国家である沿ドニエストルの未承認国家化に尽力した、地域を「独立」させるプロだったことも気になるところである。ウクライナ東部が他の旧ソ連の未承認国家と同様に主権が及ばないような国になってしまえば、解決はさらに難しくなっていくだろう。現状では、今後の展望はなかなか読めない。(了)