日本の司法は世界の流れに逆行

日本の司法は世界の流れに逆行

明治大学法科大学院
教授
瀬木 比呂志 氏



聞き手 編集局長 島田一

――日本の有罪率は極めて高い…。

瀬木 原因としては検察が起訴権限をほぼ独占していることが大きい。刑事事件の第一審有罪率99.9%という数字は、一時は誇らしげに語られていたが、むしろ立証しきれない案件を不起訴にしているか、疑わしい案件を無理に有罪にしているとみるべきだ。実際、冤罪事件を追及する弁護士が対象としている案件は明らかに疑わしいケースが多い。痴漢などの比較的小さい事件で、自ら罪を認めてしまうケースも相当あるだろう。特捜ですら杜撰な捜査を行っていることが明らかになっている今、安易に検察の有能性を信じていられる状況ではなくなっている。

――何故、犯してもない罪を「自白」してしまうのか…。

瀬木 日本では、精神的・社会的にダメージが大きい勾留が簡単に認められてしまうことが大きい。勾留は、されるだけで個人の名誉や地位が傷つく上、孤立感から人を追い詰める。このような制度に頼るのは、いわば「人質司法」であり、勾留のハードルを高くしない限り、冤罪がなくなることはないだろう。昔よりは弁護士との接見が容易になるなどの改善点がないわけではないが、世界の標準が人権擁護で向上していく中では、日本の後進性が際立つばかりだ。簡単に言えば、日本では「原則が拘束」だが、現在の国際標準では「拘束が例外」となっており、日本は世界の真逆を向いているといえる。国連拷問禁止委員会のアフリカ出身委員が日本の刑事制度を「中世」と表現したことがあったが、これは決して的外れな表現ではない。

――裁判官は信用できるのか…。

瀬木 残念ながら、裁判官もきちんと仕事をしているとはいい難い。特に刑事裁判を担当している裁判官は情緒的に検察に近く、本来あるべき冷静で公平な判断ができていないように思われ、真剣に陪審員制度の導入も考えるべきだろう。素人に裁判を任せていいのか、という指摘もあろうが、はっきりいって経済事件と違って刑事事件はさほど事実関係が難しくなく、個人の常識で妥当な判断が可能だ。現行の裁判員制度では、裁判員に裁判官が相当プレッシャーをかけている可能性があるが、それでも裁判員制度による審判での有罪率は99.5%となっており、件数でみると、裁判官による審判の5倍ものケースが無罪になっている。無論絶対的な無罪の割合は大きいとはいえないが、裁判官の影響力が大きい現行制度でもこれなら、本当の陪審員制度を導入すれば相当無罪判決が増える可能性が高い。他国の事例を見る限り、陪審員が過ちを犯すこともないわけではないが、たいていの場合わかりやすい間違いであるため、そういったものは適宜、控訴審で正せばいい。

――日本の法制度をどうみるか…。

瀬木 国民の権利・自由保護という観点で問題が大きいといわざるをえない。これは司法制度以外でもそうだが、日本の法制度は全体的に少数者にとって徹底的に過酷だ。多数者であれば結構かもしれないが、逮捕されるなどして少数者に転落した途端、容赦ない攻撃を受ける。例えば逮捕された途端、メディアから徹底的なバッシングを受けるのがその一例だ。欧米では当たり前の推定無罪の原則が、庶民レベルで理解されていないのだろう。また、もうひとつ日本の制度で問題なのは、極端な完全主義から、ありえない前提で物事が進められることだ。原発が典型だが、「絶対に事故が起きない」などということはありえないにも関わらず、誰もそれに異議を挟まなかった。司法の世界でもそうした完全主義が「検察は間違わない、従って起訴した案件は必ず有罪にならなければならない」という論理に繋がっている。

――そのようなことになっている背景は…。

瀬木 端的にいえば、日本の専門家全般が劣化しているのだと思われる。私の著書である「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を出版したあと、各界の方々と話をする機会を得たが、どうもどの世界でも同じような状況にあるようだ。特にバブル崩壊以降にその傾向が著しい。劣化した専門家に共通しているのは、責任をとる覚悟がなく、前例を踏襲するばかりで、状況に適した対応をしないことだ。また、きわめて閉鎖的で、彼らのサークルの中だけで物事を進めようとしている。これは大学界でも同じで、外部の人間が大学の教員として就職するのは非常に難しいのが実態だ。司法の世界でいえば、私の著書に対して、最高裁判所がなんら反論をしないのが「劣化」の深刻さを象徴している。昔の最高裁判所であれば、自身の体面に懸けても、私に対して反論してきただろう。ところが現在の最高裁判所は反応すらせず、みなが私の批判を忘れるのを待つばかりだ。これではダチョウが地面に顔を突っ込んで、問題をやり過ごしたと思い込むのと同じで、なんとも情けない。本来そうした状況を批判するべきマスメディアも、自ら何かを調べようとせず、裁判所等の言い分を垂れ流す「官製報道」を行う傾向が強く、改善の兆しがみられない。

――どうすれば人材の「劣化」を改善させられると…。

瀬木 司法の世界でいえば、法曹の部分的一元化が必要だと考えている。弁護士が一概に素晴らしいと言うつもりはないが、優秀な層は、裁判官と比べて、人権感覚等をも含めた総合力では上回っているというのが公平な見方だろう。もちろん裁判官にも優秀な人材はいるが、そういった人物はごく少数で、それよりは弁護士のほうにこそ、能力、人権への意識、視野の広さ、そして謙虚さといった裁判官が持つべき資質を持つ人材が多いように思われる。特に謙虚さは、現行制度によって育てられた「法曹エリート」に大きく欠けている資質だ。それでも70年代までは一流大学を卒業した理想主義者が裁判官となったため調和がとれていたが、彼らのような人材は裁判官の「宮仕え」を嫌って、今ではむしろ弁護士を志している。彼らを裁判官の道に呼び戻すのには、「宮仕え」を打破する根本的な制度改革が必要だろう。

――具体的にはどのようなことが考えられるか…。

瀬木 給料を引き上げることも重要だが、それ以上に柔軟な人事制度が必要とみている。例えば、裁判官と弁護士の区分は残す一方で、全裁判官の2割を優秀な弁護士が、6年程度の間隔をおいて交代で担当することが考えられる。2割の彼らが現状よりベターな裁判を実施すれば、弁護士を起用するメリットが明らかになり、一層の法曹一元化が進むだろう。とにかく、現状には目に余るものがあり、改革が必要なのは明らかだ。正常な民主主義国家とはいえない裁判が相次ぎ、再審についても報道を恐れて却下が多発されており、現在が「再審の冬の時代」であるとまで言われているほどだ。欧米の標準的な見方をしているだけの私の批判が先鋭的と見られるのも、いかに日本のシステムがおかしいかを象徴しているだろう。