株式会社は誰のものか

株式会社は誰のものか

早稲田大学
法学学術院・法学部教授
上村 達男 氏



聞き手 編集局長 島田一

――コーポレートガバナンス・コードが6月から導入される…。

上村 金融庁と東証が定めたコーポレートガバナンス・コードについては、枠組みが十分ではない現行の会社法の上に、法的拘束力がないソフトローを乗せる「2段重ねのソフトクリーム」の様なものだと私は批判している。コーポレートガバナンス・コードの先駆けとなったイギリスでは、コード(指針)はソフトローとして、厳格に定められた会社法より高位に位置づけられている。また、イギリスでは会社法そのものは歴史的に約20年毎に改正することになっていて、規定はかなり厳格に作り込まれる。イギリスの会社法改正は直近で06年だが、条文がまだ生きている1985年法の条文を入れると1500条程度も定められている膨大なものだ。20年間に及ぶ立法作業で会社法を定め、ソフトローはそれでも不足する部分を補うハイレベルな規定となる。因みに、ソフトローといえどもソフトなのは手続きだけで、規範としての拘束力はかなり厳しい。イギリスの自主規制は、いわゆるジェントルマンズルールとして、一度破ればその世界で生きていけないというレベルのものだ。一方、日本は金商法や証券取引法が高位にあり、自主規制機関のルールはそれより低位に位置づけられている。日本はコードの策定に際しイギリスを真似ようとしているが、そのイギリスの法事情に対する理解が不足している。取締役が労働者や消費者のためにも経営しなければならないという明文規定が会社法にあることも知られていないのではないか。英国会社法には機関概念がなく、あくまでも取締役が共同して行動するという概念だけだ。取締役会(board of directors)のboardという概念がないのだ。これは一貫しており、キャドベリー委員会報告で取締役会という概念を使うようになっても、2006年の会社法もboardの概念を決して持たない。だから会社法とは別にガバナンスコードが必要だったのだが、そうしたことも何も論じられていない。英国では取締役概念は実質概念であり、取締役とは「名称の如何を問わず、取締役として行動する者」をいうとされていることも、こうしたものによるboardという発想と馴染まない理由でもある。株主総会も機関ではなく株主達の集会だ。機関への警戒感は、「個」のみを尊重する規範意識の表れではないかと考えている。

――海外の制度をご都合的に導入しようとしていると…。

上村 コーポレートガバナンス・コードや日本版スチュワードシップ・コードなど、最近ではイギリス流の制度一辺倒となっているが、海外例の研究が不十分なケースは以前からあった。例えば、企業買収の制度設計が問題となったとき、経済産業省は企業価値研究会を04年に設置した。同研究会が出した報告書は、アメリカのM&A法制を参考にしながら、アメリカの州法やヨーロッパの事例について検討していなかった点で欠陥があったが、まるで決定版が出たかのように扱われた。その報告書は、今では話題にも上っておらず、結局、企業価値研究会のメンバーたちは英国M&A制度研究会、ヨーロッパM&A研究会(日本証券経済研究所)での研究に重点を置いてきている。いままた、英国ソフトロー一点張りの議論が横行しているが非常に底の浅い議論でもあたかも決定版であるかに扱われている。

――会社法も十分ではない…。

上村 現行の会社法は縦割り行政の弊害から、金融商品取引法(金商法)との調整が図られていない。海外では、資本市場法制で規定されている開示、会計、監査、内部統制などを前提に会社法が適用されるのは当然のことだが、日本では大学の会社法の授業で有価証券報告書を取り扱うことさえない。例えば、日本では、新株発行の際に会社法に募集情報に関する規定がある。金商法が適用される会社については、金商法を遵守しており有価証券届出書や目論見書をきちんと出しているにもかかわらず、そうした情報開示を会社法上の問題として受け止めていない。会社法の決算公告も有価証券報告書が出ている場合にはそれで足りるとの規定があるが、それは有価証券報告書全体のうちBS、PLだけでしかも会社法は単体、金商法は連結だ。金商法は規定に違反した場合に訂正命令や行政処分もあり、最も重い虚偽記載を行った場合は10年以下の懲役または1000万円以下の罰金が課せられる。一方、会社法では公告の虚偽記載は形式犯となるため、過料100万円にしかならない。

――会社法と金商法の整理・統合ができていない…。

上村 コーポレートガバナンス・コードは金融庁と東証のルールであるが、ガバナンスは会社法にかかる内容だ。金融庁の担当が会社法制とは定められていないため、そもそもコードを策定できるのかという疑問があり、金融庁設置法違反だと主張する学者もいる。OECD原則を踏まえてコーポレートガバナンス・コードを策定するといった、「何となくガバナンス」では根拠が薄い。とはいえ、金融庁が会社法にもの申す資格がないとは思っていない。金商法で規定される開示、会計、監査、内部統制を実行するのは、会社法のガバナンスだからだ。例えば、銀行法が検査で要求する項目を守るためには、会社法が関係するリスク管理体制を整える必要がある。また、有価証券など金商法で扱われる金融商品には、ガバナンスが付き物だ。会社型投信では、取締役会や投資主総会がある。信託法にも受託者責任等がある。株式会社が発行する株式も金商法からみれば1つの金融商品なので、金商法の立場から金融庁が金融庁のミッション達成のためにガバナンスについて主張を行うこと自体は問題がない。しかし、何となくガバナンスではだめだ。英国のガバナンスコードはFRCが策定したものだが、FRCとはfinancial reporting councilという名が示すように、情報開示や会計原則の設定主体である。そこでは開示・会計・監査のためのガバナンスという観念が息づいているからこそ、ガバナンスコードを設定していることこそが大事だ。日本の議論はあまりに浅薄だ。

――日本のコーポレートガバナンス・コードは株主の保護を目的としているようだ…。

上村 金融庁が投資者保護ならぬ株主保護を主張することには問題がある。金融庁が担当する金商法では、株主とは現在保有している者、つまり株の売り手側となる者を指す。買い手側は不特定多数の投資家ということになる。つまり、現在その金融商品を保有している市場での売り手としての株主と、誰だかわからない買い手が売買の投資判断をするために必要な情報開示等が求められていることになる。ここでも何となく会社法の株主保護だけを主張するのはおかしい。金融庁がルールを策定するのであれば、売り手の投資家としての株主を想定したルールという位置づけにすべきだ。また、会社が誰のものかという議論の整理ができていないことが根本的な問題だ。

――会社は株主のものという言葉がすり込まれている感がある…。

上村 会社が株主のものだとヨーロッパでも主張されているが、これは株主イコール主権者である個人だという前提があるためだ。ヨーロッパでは個人を中心とした市民社会があり、権力で国家と市民社会が拮抗する。もともと、革命により血を流して市民社会を形成した経緯があるからこそ言えることだ。日本ではこの点の理解が進んでおらず、会社は株主のものという言葉が誤解されている。現在の誤解された株主主権でメリットを感じるのは、中国共産党などの国家株主や王族会社、人間の匂いのしないファンド株主などだ。つまり、会社は国家のものだという理屈を後押しすることになる。ヨーロッパでは、株式に付与された2つの権利をどう調和させるかという問題と向き合ってきた歴史がある。2つの権利とは、利益配当請求などの財産権と、支配権すなわちデモクラシー関与権とも言える議決権だ。ところが、誤解された株主主権では、株主が誰かという議論がなされていないため、株式を買えれば、買うカネをもっていれば支配権が得られるということになる。すなわちこれは、ヨーロッパにとってみれば、かつて戦った相手である専制や団体をほめる論理になってしまう。

――株式主権はアメリカでも主張されている…。

上村 アメリカは人民資本主義people’s capitalismの伝統があるとはいえるが、近時はそもそも国内向けの論理と国外向けの論理を上手く使い分けている。国内では、株主重視という主張の根底に、株主、労働者、消費者はいずれも同じ生身の人間という考え方がある。株を買えば株主、会社で働けば労働者、買い物をすれば消費者とよばれ、それぞれが循環している。一方、国外に対しては、株主重視という論理を、他国の利益を収奪する武器として使っている。取引先が金融機関のみで、モノもサービスも提供せず、人間の匂いがしない組織といえるヘッジファンドが、人間だらけの組織である会社を支配する構造を支える理屈となる。現在の世界が経済の覇権を巡る戦争状態に近いことを考えると、アメリカはしたたかだといえる。

――株主が誰かという議論をもっとすべきだ…。

上村 株主主権、株主保護を主張する前に、誰が株主なのかという議論がなければ、短期売買を行っているヘッジファンドが多数の従業員を支配するという構図が成り立ってしまう。これに対し、個人向けの配当を厚くするなど、個人株主の利益を手厚くするというのは一つの手段だ。日本では法人の株式持ち合いが減っていると言われるが、個人株主が比率的には増えているわけでは決してない。株主保護をうたっても、個人の発言権を増やさなければ保護にも限界がある。個人株主を厚くすることは、日本に市民社会を根付かせることにもつながる。この点、フランスでは株式を2年間保有している者に対する権利を2倍にするという発想は以前からあるが、最近さらに強化改正をしたようだ。どうもフランス人によるデモクラシーという発想を超えた国家関与の色彩が強いようだが、ここもアメリカ同様実にしたたかだ。株主保護の考えをきちんと整理し、ヘッジファンド等の支配に晒される恐れに対応しうる論理を日本が提供すれば、これから株式市場を発展させていく東南アジアの国々にも喜ばれるだろう。