TPPがRCEPを吸収も

TPPがRCEPを吸収も

杏林大学
総合政策学部客員教授
馬田 啓一 氏


聞き手 編集局長 島田一

――日本の通商交渉は世界的に遅れていると言われていたが…。


馬田 日本はFTA戦略で韓国の後塵を拝していた。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)参加が議論されるようになった背景の一つに、米韓自由貿易協定(FTA)の締結がある。これによって日本製品が韓国企業によって米国市場から締め出されるのではないかとの危機感が生まれ、その巻き返しを図るためにもTPP参加は必要だった。TPPに参加している国は12カ国だが、GDPでは日米が全体の8割を占めているので、TPPは実質的には日米FTAだ。日本のTPP参加は、韓国への競争意識が根底にあった。また、日本のFTA戦略は農産物がネックとなり、なかなか進展しなかった。「工業品は輸出したいが、農産物の輸入はダメだ」という国内の保護主義が根強かった。このため、EUやASEANがFTA締結を積極的に進める中で、いつの間にか日本が取り残された。今回のTPP交渉では、聖域扱いされた農産品5項目の関税撤廃を一部認めた。無傷で済まそうと思えば、投資、政府調達、知的財産権など関税以外の交渉分野で、日本はもっと交渉力を失うことになっていただろう。

――巨大な新たな自由貿易圏が構築される…。


馬田 これまでの2国間FTA交渉では農業防衛に固執したため、規制緩和の要求でも迫力に欠けた日本だったが、今回のTPP交渉では米国とタッグを組み、マレーシアやベトナムなどの新興国に対して投資やサービス貿易の自由化を含む市場開放を実現した。従来のFTAで取り損なった分をTPPで取り戻した形だ。企業のグローバル化が進むなか、各国がバラバラのルールを設けていたのでは効率が悪く、コストもかかる。サプライチェーン(供給網)の効率化を図るために、統一したルールの確立が必要となっていた。本来、このようなルールづくりは世界貿易機関(WTO)がその役割を担うべきだが、加盟国が160カ国を超えるため、意思決定が難しいという制度上の問題に直面している。関税撤廃など国境措置に留まらず、投資規制の緩和や政府調達などの国内措置も含めた交渉が必要となっている。ルールづくりの通商交渉の主役はもはやWTOではなく、巨大なメガFTAに代わっている。

――国営企業の民営化の意義は…。


馬田 TPPルールの交渉分野の一つが国営企業の民営化だが、これは将来の中国参加を意識したものだ。中国は改革開放路線を進め、社会主義から資本主義の経済へ転換を図ったが、米国から言わせれば、中国の資本主義は偽物であり、「赤い資本主義」とか「国家資本主義」と非難されている。中国政府が補助金その他の優遇措置によって国営企業を庇う構造が要因となって、米中貿易摩擦を引き起こしている。米国はTPPを通じて中国の国家資本主義と闘うつもりだ。中国をTPPから排除するのではなく、アジア太平洋地域の通商ルールに中国を引きずり込み、国家資本主義からの転換を迫るというのが米国の考えだ。韓国やASEANの国々がTPPに次々と参加し、中国の孤立が現実味を帯びてくれば、中国もTPPに入らざるを得ないのではないか。

――TPPが米国主導と言われる訳は…。


馬田 米国がテロとの戦いで中東に構っている間に、アジアでは中国が経済力をつけて影響力を拡大させた。米国が安全保障面や経済面で中国に脅威を感じていることは確かだ。また、アジアの地域主義が台頭し、ASEANと日中韓を中核とする東アジア共同体構想の浮上も米国を警戒させた。これが発足すれば米国企業が世界の成長センターから締め出されるのではないかと恐れた。そのため、米国がアジア市場に深く関与できるような新たな大きな枠組みとして、米国が提案したのがアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想である。当初、米国はアジア太平洋経済協力会議(APEC)をベースに参加国によるFTAAP実現のための交渉をしようとした。しかし、非拘束の原則を転換させ、緩やかな協議体としての性格を変えようとする米国のやり方を嫌った東アジア諸国の反対にあって断念、APECの外に作られたTPPの拡大を通じてFTAAPの実現を図るという戦略に軌道修正した。米国はTPPを「21世紀型のFTAモデル」と位置づけて、高いレベルの包括的なFTAを目指すことになった。12カ国により21分野(31項目)について交渉が行われたが、投資、知的財産権、競争政策(国営企業)、政府調達など、TPPのルールづくりを主導する米国と他の参加国との利害対立が先鋭化した。

――農業分野の関税率は…。


馬田 日本の農産物の自由化率は81%と12カ国で最も低い水準となった。工業品は100%、日本の自由化率は95%に達し、日本のFTAで最も高い。今回、農産物586品目の3割の関税を撤廃したわけだが、今まで輸入していないとか輸入実績の少ない品目、日本で生産していない品目など関税撤廃の影響がほとんどない品目ばかりだ。また、重要5項目(コメ、小麦、砂糖、牛・豚肉、乳製品)については聖域として交渉し、コメと小麦、砂糖の関税をそのまま残し、牛・豚肉と乳製品の関税率は段階的に下げるが、撤廃は回避した。関税撤廃までの期間を長くすることや、輸入量が急増した場合に関税率を引き上げるセーフガード(緊急輸入制限措置)を設けているため、影響は限定的だ。また、コメについて無税で輸入する枠を年間7万8400トンとしたが、この分は市場には流れず政府在庫とするのでコメは安くならない。これでは、TPP参加を好機としてコメの生産性向上とか農業の成長産業化、攻めの農業などと言っても、果たして変えることができるのか。また、コメの関税率778%を維持しようとしたことで、米国が乗用車にかけている2.5%の関税撤廃が25年目になったことも確かだ。

――今後の中国の対応は…。


馬田 米国主導のTPPに対抗する意識はあるものの、TPPの参加を選択肢の一つとしている。中国が現時点で、高いハードルのTPPに参加すればハードランディングの危険がある。そのため、中国はTPPに参加するとしてもソフトランディングとなるよう、2014年に上海自由貿易試験区を設置した。これをモデル地区として規制緩和を進めており、他の地区にも設置し徐々に自由化を図ろうとしている。その一方で、TPPの対抗手段として、ASEAN+6によるRCEP(東アジア地域包括的経済連携)を推し進めることも選択肢としてある。RCEPはTPPとは異なり、自由化のレベルが低いが、中国とインドという2大市場が入っていることが最大の魅力だ。2016年中には交渉をまとめようとしている。今やアジア太平洋地域はメガFTAの主戦場となり、米国主導のTPPと中国主導のRCEPという対立の構図ができている。TPPの大筋合意を受けて、中国はRCEPのテコとなる日中韓FTAの交渉を加速させようとしている。さらに、中国の対外戦略の最重要課題が一帯一路構想で、TPPに対抗する新たな手段に格上げされた。現代版シルクロードと呼ばれ、陸と海からアジアと欧州を結ぶ広大な地域経済圏の構築を目指すものだ。その資金源として注目されているのが、アジアインフラ投資銀行(AIIB)だ。中国が一帯一路構想とAIIBによって欧州を取り込み、米国を牽制しようとしていることに、米国は苛立ちと警戒を強めている。

――アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の行方は…。


馬田 現在、FTAAPを実現させる道筋として、TPPとRCEPの二つのルートが存在している。しかし、どうやって最終的にFTAAPに繋げるかは決まっていない。そこで、2014年に中国で開かれたAPEC北京会合では、FTAAP実現に向けたロードマップが策定され、FTAAPを早期に実現すること、そのための共同研究を実施し2016年末までに報告することを明記した首脳宣言が採択された。日米は、TPPの延長線上にFTAAPを位置付け、RCEPをTPPに吸収させるつもりだ。日本や豪州などTPPとRCEPの両方に重複して加盟する国は現在7カ国。TPPの大筋合意を受けて、韓国、タイ、フィリピン、インドネシアなども参加の方向に舵を切るようだ。今後、どんどん重複国が増えていけば、自然とRCEPはTPPに飲み込まれていくだろう。