ミャンマーの民主化の進展を確信

ミャンマーの民主化の進展を確信

日本財団
会長
笹川 陽平 氏


――ミャンマーの支援に力を入れている…。


笹川 戦後、多くの日本国民がミャンマーから輸入された米を食べて育ったように、両国には古い結びつきがあり、我々は軍政時代からミャンマー支援に力を入れてきた。このことに批判もあったようだが、我々は彼らと人道支援の窓口として関係を持ってきただけだ。以前、アメリカ大使館から経済制裁を実施しているミャンマーを何故支援するのかとクレームを受けたことがあるが、我々はただ苦しんでいるミャンマーの人々を支援したいだけだ。そうした政治や思想にとらわれない活動が花開いて、現在の日本とミャンマーの特別な関係が生まれたと自負している。彼らとの交流なしには、少数民族地域には立ち入ることすら不可能だった。

――ミャンマー国民和解担当日本政府代表に就任された経緯は…。


笹川 少数民族とのコネクションを持つのが我々だけだったからだろう。ミャンマーでは政府と少数民族系武装組織らの間で70年間戦闘が続いており、和平実現は長年の悲願で、同国と古い関係がある日本政府もいち早くプレゼンスを示す必要があった。ここ3年間で私は約50回現地に赴き、時には武装組織の勢力圏であるジャングルに入り、双方の和解を仲介してきた。しかし一口で武装組織といっても、主要なものだけで15あり、意見を集約させるのは至難の業だ。私とテインセイン大統領は心臓にペースメーカーを入れており、お互い顔を合わせると機器の調子はどうかと聞きあう仲であり、彼のためにも彼の任期内での全面停戦の実現のために大いに汗をかいてきた結果、ようやく8グループとの停戦協定締結にこぎつけた盛大に開催された停戦署名締結式典では、中国やタイ、インドといった国境を接する国々は当然として、国境を面していない国で日本だけが停戦署名にサインした。米国も、旧宗主国の英国も署名できなかったことを踏まえると、この意味は大きく、日本の少数民族和平に向けた貢献が評価されたといえるだろう。今後も残り7グループとの停戦合意の実現に向け、全精力を向けていきたいと考えている。

――これまでの具体的な支援事業は…。


笹川 少数民族地域での小学校建設(341校)や食料支援など、戦闘が激しいカチン州を除く多くの地域で様々な人道支援活動を実施している。日本財団しか現地に入れない地域もあるため、現地での存在感は大きく、ミャンマー政府にも認知されている。国内避難民への食料支援ではなるべく紛争地に近い地点まで赴き、物資を手渡してきたが、その際、紛争地の住民の中にはミャンマー語の米袋には毒が入っているのではとのうわさが広がり、日本財団の名前がプリントされた米袋以外は受け取らないと言ってきたこともあった。我々は袋であれば何でも良いと思っていたのだが、それ以来全ての米袋を日本財団仕様に切り替えた。それだけ、政府と少数民族間の不信感は強いということだ。今後も少数民族支援は続けていきたいが、政権移行期であるため、新しい政権の意向を見極めてからでないと新しい動きは取りにくい。

――11月の選挙の様子は…。


笹川 私は日本政府の選挙監視団の団長として実際に様子を確認したが、じつに整然とした混乱のない選挙だった。日本以外にも米国やEUなどからのべ1000人、ミャンマー国内からは9000人、合計1万人もの選挙監視団がモニタリングしたが、目だった問題は報告されなかった。選挙管理委員会が住民にきちんと選挙を説明し、住民側も真面目な態度を堅持したことが成功の背景だろう。私が監視していた場所の一つは、小さな敷地に4つの投票所があったため、混乱するのではないかと懸念していたが、当局者は何度も説明したため問題ないと太鼓判を押し、実際選挙が始まっても市民らはスムーズに決められた通りの投票所で投票していた。私は朝5時ごろに現地に到着したが、5時半には開門を待つ市民らの行列ができていた。彼らは暑い中、一時間以上も静かに待機していた。彼らは50年間一票を投じる機会を待ちわびていたので、誰もが投票の喜びをわかちあっていた。二重投票を予防するため、日本政府が寄付した特殊な塗料が投票後に市民の小指に塗布されたが、市民らの間では投票した証である小指を見せ合うのがしばらくの間流行となっていた。スーチー氏も支持者らに小指を掲げてみせたし、テインセイン大統領も選挙の1週間後に面会した際、私に色がついたままの小指をみせてくれた。

――これからも民主化は進むのか…。


笹川 進展すると確信している。ここ5年間でテインセイン大統領が推進した民主化のプロセスは世界でも最高の内容だったと感じている。いまや、日本を除けば、ミャンマーはアジアでメディアが大幅に自由化されている国だ。更に大事なのは、ミャンマーには民主化に不可欠な市民社会が根付いていることだ。例えば1988年に市民運動を行った当時大学生の88世代には、国家国民のために政治をよくしようという考えを持つ民主化リーダーが沢山いる。その多くは長年刑務所に収容されていたが、テインセイン大統領は彼らのような政治犯を全て解放した。今後は彼らを中心とした市民社会がミャンマーの民主主義を支えるだろう。一般的に国際社会では、選挙を実施すれば民主主義が定着するという見方もあるようだが、アラブなどの事例をみればわかるように、選挙さえすれば民主化が定着するというのは大きな間違いだ。民主化には選挙をすることが第一義的に重要ではあるが、市民社会が存在、発展しないところには、真の民主国家は育たない。市民社会の成熟度合いでミャンマーは進んでおり、アラブのような混乱は発生しない。ミャンマーは世界でもっとも国民の寄付の多い国の一つであり、社会に対する連帯感は強いと評価できる。

――経済改革については…。


笹川 日本企業の本社サイドでは悲観論が強いようだが、これは間違いだ。歴史的に軍事政権からの政権移行が平和裏に行われた例は少ない。だから今回のミャンマーも同じ轍を踏む、という考えのようだが、そうした過去の事例とミャンマーでは状況が全く違う。これは、ミャンマーに実際に駐在している方々なら感じ始めているはずだ。スーチー氏は選挙の勝利演説で敗者への思いやりが必要と強調しており、現政権を高く評価し、驕りを戒めている。選挙後にテインセイン大統領やミンアウンフライン最高司令官、さらにスーチー氏を監禁した責任者であるかつての国家元首タンシュエとも面会した。スーチー氏は慎重に、外国からの干渉を撥ね退け、現在政権移譲に全力を尽くしている。現政権側も円滑な政権移行のため、スーチー氏率いる国民民主連盟の面々と話し合いを進めている。こうした政権移行への取組みは素晴らしいと評価でき、経済政策が大幅に変わることはないと断言できる。

――日本の経済団体は更なる改革がなければ進出は困難との意見が目立つ…。


笹川 韓国や中国企業は、橋に一歩でも足がかかれば渡ったのと同じという考えで話を進めているが、日本企業は石橋を叩いても渡らないのが実情だ。ミャンマー側は投資環境が不十分なのを承知のうえで、長年の関係を信頼して日系企業に進出を頼んでいるわけで、その意を汲んで欲しい。ミャンマーも十分に日本を特別扱いしており、例えば昨年与えられた外国銀行の営業許可は、9つのうち、日本の大手銀行が3つを獲得した。シンガポールの2行を除けば、他の国はどこも1カ国1行だったことを踏まえると、これは大変な特別待遇だ。実は当初ミャンマー側が提示していたのは2つだったが、麻生財務大臣を始めとする日本関係者の努力で、3つにしてもらった。進出した金融機関らにはこの苦労に応える活躍をして欲しい。

――ティラワ特別経済区はミャンマー経済発展の象徴だ…。


笹川 2012年に日本・ミャンマー政府が開発合意した当時は、現地はなにもない荒野だった。大統領は15年の選挙までに形にしたいと話していたが、山手線の内側の45%に相当する広大な地域を短期間で開発できるか、疑問だった。しかし今や第1期工事が完了し、日本だけではなく、香港やシンガポール、タイ企業ら45社が進出している。第2期工事の契約も終わった。いずれ世界に冠たる工業団地が完成するだろう。日本政府が供与するODAで港湾はすでに整備が進み、今後は道路や橋も作られる。開場式では、私と麻生財務大臣、日本ミャンマー協会の渡邉秀央会長と3人で、「あの荒野がこうなったか」と話しあったものだ。地元への貢献という意味でも、第1期工事では直接雇用で3万人、下請け、関連を入れれば30万人分もの雇用が創出された。ティラワは元々ミャンマー政府が日本、韓国、中国の3カ国で開発して欲しいとしていたものを、日本ミャンマー協会の渡邉会長の努力で、日本が独占した経緯もあり、今後の進展を実現する上で日本には大きな責任があるだろう。

――日本政府の対ミャンマー政策をどうみるか…。


笹川 ミャンマーに関して、日本政府のリーダーシップは飛びぬけていると思う。5000億円の借款をゼロにしたことで世銀の融資実施への道を開いただけでなく、新たに1000億円を供与した。更に人材育成や、システムの構築でも貢献しており、中央銀行、証券取引所、郵便も、日本の優秀な専門家派遣で近代化が進んでいる。私は以前から中国とODAの金額で争うべきではないと申し上げてきたが、このようなソフトパワーの活用こそ日本のあるべき支援の形だろう。ここまで日本が他国の民主化のために協力した例はなく、今日の両国間の特別の信頼関係に繋がっていくだろう。新政権になれば経済政策の大幅な変更もあるのではとの見方もあるようだが、NLDの目指すところは前政権の改革を更に進展させることにあり、省庁の人間を全て入れ替えたり、これまでの対日関係を見直すことは絶対にないと断言できる。経済政策については、スーチー氏はテインセイン大統領が作った道の上で改革を進めるだろうし、悲観する必要はない。ミャンマーは戦後アジアで最も豊かな国でありながら、現在アジア最貧国にまで転落したが、今後は経済開発が素晴らしい勢いで進み、10年もかからず再び豊かな国になると確信している。