ミャンマーに『岩崎弥太郎』を

ミャンマーに『岩崎弥太郎』を

ミャンマー建国ファンド
CEO
房 広治 氏



聞き手 編集局長 島田一

――アウンサンスーチー氏との関係を盛り込んだ本を出版した…。


 そもそもの問題意識は、15年11月9日の総選挙の結果がでてから、ジャーナリストや企業の社長を含めた方々から、私の予想したようなNLDの大勝を指摘していたのは私だけだったとの連絡を頂いたことだ。それを聞いて、NLDの勝利が意外と受け止められたのは、日本のメデイアのミャンマーの報道がとても偏っていたからではないかと思った。ちょうどその頃、木楽舎という出版社の社長から自伝を出さないかとご提案を受けており、自伝自体は書くつもりはなかったのだが、インターネット上でも間違った情報があふれていたので、自伝よりも過渡期のミャンマーの本が良いのではと社長を説得した。私には30年前にスーチー氏の家に下宿した関係があるので、スーチー氏が何を考えているかを含めた、ミャンマーの政治経済の全体像を把握できる本を、政権移行に合わせて出版しようという話でまとまった。

――スーチー氏と出会ったきっかけは…。


 全くの偶然だ。留学先のオックスフォード大学でたまたま彼女に話しかけられた。当時は自己紹介をしてくれた彼女が誰なのかも知らず、あとで担当教官からミャンマー建国の父アウンサン将軍の娘だと教えてもらった。その後2年ぶりにたまたま道で出会ったのだが、彼女は家の4階部分に下宿人をおいてもよいかなとその日の朝に思いついたところで、私も数か月後には寄宿舎から出なければならないタイミングだったので、お話を受けて、1984年6月から下宿することになった。ちなみに親日家の彼女の家に下宿したのは日本人ばかりで、私が第一号で、他に2名いた。タイミング的に、私が下宿を出てからスーチー氏は京都大学に留学したので、実際に彼女と顔を合わせた機会は私が一番多かったらしい。下宿中は、スーチー氏の二人の息子たちにテニスを教えることもあった。そんな背景から、1991年に彼女がノーベル賞を受賞した際には、フィナンシャルタイムズ紙の記者が私に彼女の綴りを教えてくれと電話をかけてきたこともあった。

――その後のスーチー氏との関係は…。


 1989年か1990年に軟禁されたのをニュースで知って、ご主人のマイケルに連絡をとろうとした。最初はオックスフォードの自宅に電話しても電話にでなかったので引っ越したのかと思った。1992年に私自身の結婚式をオックスフォードのカレッジで開いた前後に、直接家に行って、ようやくマイケルに再会できた。スーチー氏の次男のキムが私よりも背が高くなっていて本当に驚かされた。マイケルは訪問を喜んでくれ、スーチー氏が何を考えて、マイケルがどのように応援しているのか、どのように、情報を交換しているのかなどを教えてくれた。彼は、1990年の総選挙で国民のほとんどがNLDを応援しているのが明らかなのに、なぜ先進国の中で、日本政府だけが国民が支持をしてない軍政を応援するのか判らないと私に話した。

――スーチー氏はどのような人物か…。


 非常に聡明だ。再会してから、様々なイメージを使い分けることが可能な人だということが判った。海外のメディアに登場する彼女は一国のリーダーに相応しい「強い」イメージを強く出している。これはサッチャー元首相の戦略と似ている。支持者に「強さ」を印象として与えることは、民主化を進める上で一番大切なのだと思う。一方で、一対一で会った時の彼女は、とても思慮深く、深い洞察と推察力に満ちた人物だ。2012年に彼女のヤンゴンの家で面会した時には、私が暑がりであったことなど、かなり細かいことまで覚えていてくれたようで、エアコンの温度を意図的に高くしてあるから、上着を脱いでと言われた。ミャンマーの将来について質問をすると、瞬時に彼女が様々なシミュレーションを行っていることがわかった。マイケルが1993年に会った時に、スーチー氏が本を読んだり瞑想したりして、軟禁生活の中で正気を保っていると言っていたのだが、15年にも及んだ軟禁次代で、瞑想を通じて様々なシナリオを描いたのではないかと思う。彼女には、ミャンマーを成長させるため、根本的に何をしなければいけないか、具体的なアイデアがたくさんあると感じた。彼女の言葉を直接聞いたことのあるミャンマーの現地の人々は、彼女に政治を任せれば、少なくともテインセイン政権よりはよい結果になるだろうと、私に言っていたのだが、この時私は、彼らが何故そう感じていたのか瞬時に判った。また、彼女はとんでもなく潔癖な人物でもある。ミャンマーの国軍側はいろんなことを宣伝しているが、かなり的を外れた指摘も多い。

――これまでのミャンマー政治はどうだったのか…。


 民主化前のミャンマーは諸外国から北朝鮮並みに人権がない国と評価されていた。ミャンマーの人口の7割を占める農家の所得は平均で年間6万円ほどで、これは北朝鮮より低い水準だった。恵まれた地理的条件で、軍政前までは東南アジア地域で一番栄えていたのに、軍事政権が国民のことをまるで考えてこなかったために過去50年間で人々が貧しくなってしまった。軍トップの高官らは中国やタイの企業、それに財閥と組んで自分の家族のポケットを膨らませることしか考えてこなかった。一方、北朝鮮と違うのは、権力の世襲が失敗したことだ。ネウィンにしろ、タンシュエにしろ、確かに独裁者ではあったが、北朝鮮のように息子に権力を譲ることには失敗した。現在の名だたる資産家達も、その登場は1990年以降で、数十年に渡ってミャンマー経済を牛耳っているような企業や一族はトップ10の内、2家族だけだ。

――ご自身は今後、ミャンマーとどう関わっていくのか…。


 ミャンマーの人々は正直だ。中国やインドなどでは、騙されたと感じる企業も多いが、ミャンマーにいる普通の人々は、素朴で正直な人々だ。私としては、そんな素朴な人々の所得が多くなるようにしたいと思っている。また、その正直さを保ってほしいので、そのことにも貢献したい。経済の発展の方策の具体的として、「ミャンマーの岩崎弥太郎」をプロデュースすることがある。既に2012年に、弥太郎のように経済を発展させられる可能性を持つ人物を見つけたので、彼をミャンマーの若者の目標になるように成功させることが一つの目標だ。これは、インベストメントバンカー時代に、しばしば「明治維新の時代に生きていれば」「岩崎弥太郎になりたかった」と語るビジネスオーナーと日本で出会ってきたのと、ミャンマーはまさに今維新の最中であり、弥太郎のような人物が生まれるチャンスがあることから考えついた。弥太郎が成功したのはトーマス・グラバーという盟友を持ち、海外から当時世界最先端の技術を導入できたからだと思う。私がグラバーと同じく世界の最先端のテクノロジーをミャンマーに導入するのを助け、岩崎弥太郎をプロデュースできれば、世界でナンバーワンの産業がミャンマーにできることになる。そして、ミャンマーが世界でナンバーワンの産業を一つでも作ることが出来れば、私の試みは成功したと考える。

――ミャンマー経済の現状は…。


 ミャンマーで最も大きな企業グループは国軍の傘下にある。これは1990年にスーチー氏の国民民主連盟(NLD)に大敗してから軍トップが蓄財の方法として作り上げたものだと考えられる。傘下の2グループは、国会に報告義務がないし、税金を払う義務もないので、特権を利用して相当大きなビジネスを展開している。最大の精米ビジネスを行っているのもこの企業グループで、その処理能力は毎日2000トンと、民間所有の2位のものの2倍の能力を誇っている。私は精米所を通じて、ミャンマーの農業の改革に取り組んでいるが、この巨大な国軍の企業も我々の真似をして、地域の農業の改革に貢献することを望んでいる。今のところミャンマーのほとんどの精米所の生産性は極めて低い。一部では、最新式の機械が入っているが、ほとんどは、中古で、環境破壊も多く、精米の過程でコメの半分近くが割れてしまう。割れてしまったコメは価値が家畜のえさ程度になってしまうため、これは多大なロスだ。これに対し、日本製の機械を使えばほとんどロスなしの精米ができるため、生産性を倍にすることが可能で、農家の所得を3倍ぐらいに引き上げられると試算できる。

――スーチー氏は大統領に就任できなかったが、問題は…。


 スーチー氏が大統領になれないことばかりが日本では報道されているが、これも、的外れだ。即ち、現在の憲法が、一部の軍のトップの利益を守るためにデザインされたもので、スーチー氏を大統領にしないために25%の議席は選挙によらないとか、大統領が執務を執行できない時に大統領の替わりになる副大統領は軍が出すとか、軍司令官が非常事態宣言をしたら大統領には何の権限もなくなり、軍司令官自身が大統領の権限を持つなどなど、到底、法治国家とは言えないルールになっている。これが、アメリカがずっと問題としている点で、ミャンマー国民もこれが問題だと感じている。今回の選挙で、首都ネピドー地域の6選挙区でNLDが全ての議席をとったが、このことから軍関係者もNLDに賛成していることが判る。

――課題は多い…。


 とはいえ、2020年11月までは、スーチー氏はNLDを実質的に支配しているため、彼女の考えを政策に反映する上でなんら問題はないし、そうした形の指導体制を国民の過半数以上が支持している。重要なのは、現状の憲法を変更するべきと国民の大多数が思っていても、それが不可能な憲法になってしまっているという点である。無効にされた1990年の選挙、2012年の補欠選挙、2015年の総選挙、どの選挙をとってもNLDが参加した選挙では過半数の選挙民がNLDにシステムを作らせたいと思っているのだから、2008年憲法の正統性が誰の目にも疑わしいというのが問題だ。