政府は先ずブラック企業対策を

政府は先ずブラック企業対策を

法政大学
教授
上西 充子 氏


聞き手 編集局長 島田一

――ブラック企業とはどのような企業か…。


上西 典型例は、夜中まで働かせる、パワーハラスメントを繰り返す、残業代を支払わない、休みを取らせない、過労死に至るまで働かせるといったものだ。残念ながら、現在の日本ではこうしたブラック企業の事例は枚挙に暇がない。よく知られているワタミフードサービスのケースでは、新入社員の女性が入社2カ月で飛び降り自殺するまでに追い詰められてしまった。彼女の場合、入社前には会社側から「最近は労基署がうるさいから必ず週休二日にしています」と説明されていたそうだが、実際には休日もボランティア活動への参加や早朝研修、会長の著書を読んだ上での課題レポートなどがあった。店舗では刺身やサラダなどを調理する難しいポジションを任された。加えて、割り当てられた社宅には深夜の営業終了後も始発電車まで二時間ほど待たなければ帰宅することができず、日々の睡眠時間も削られていた。彼女は週1回のカウンセリング時に店長に心身の不調を訴えていたが、店長はそのSOSに精神論でしか対応しなかった。

――残業代を支払わないとは理解しがたい…。


上西 残業代不払いは違法・脱法、両方の形で横行している。足元で深刻な問題は固定残業代制。例えば初任給が25万円~30万円と高額にみえても、40時間程度の残業代が含まれている場合がある。40時間分の残業代を含んでいる場合、その時間内に残業が収まればいいが、例えば50時間の残業となった場合は、10時間分の追加の残業代の支払いが本来必要であるにも関わらず、支払われないのがほとんどのようだ。初任給が高額でなく20万円であっても同じように残業代が含まれ、実際の基本給は12万円や13万円しかないケースもある。そのように残業代が含まれていることを募集の段階で隠していても、必ずしも違法ではないというのが現状だ。労働契約の段階で、募集時とは異なる労働条件で合意する場合もあるからというのが厚生労働省の論理だが、募集の段階で正確な労働条件が分からないことには求職活動に大きな支障が出る。入社時にも労働条件を書面で交付しない企業もあり、入社後に給与明細をみて初めて固定残業代制だったことに気づくケースもある。これではまるで詐欺だ。特に大学生の場合は募集から内定、入社までの期間が長く、正式内定や入社の段階で学生に不利な内容が明らかになっても他社を探すことが難しいため、大問題だと考えている。厚生労働省は昨年10月に指針を出し、若者を対象とした求人においては募集の段階から固定残業代の詳細を明示するよう求めているが、実際の募集要項をみると徹底されていない。そこで私も参加している「ブラック企業対策プロジェクト」では、企業が示す初任給の中に残業代が含まれているかどうか明らかにするチェック欄を設けたモデル求人票の作成・普及を厚生労働省に求めている。

――労働基準監督署の取り締りが弱いのでは…。


上西 まず、労働基準法への違反であれば監督官が是正指導や立件・送検を行えるが、労働基準法違反を問えない労働問題も多い。さらに国際的に見ても日本の労働基準監督は監督官が少ない。労働基準法に違反する事例を立件・送検するのにはかなりの労力がかかるが、それを分担するマンパワーが足りていない。また、是正指導を行ってもそのことが公表されないため、問題のある企業が水面下に埋もれてしまっている。一定の回数以上是正指導を受けた企業の名前は公表することも必要ではないか。なお過労死の遺族は過労死を出した企業名の公表を求めているが、厚生労働省はその公表も認めていない。厚生労働省が公表をためらうのは雇用機会の確保のためのようだが、雇用の質を担保するのも本来は厚生労働省の役割のはずだ。

――労働実態の開示は労働環境の整備に不可欠だ…。


上西 大手企業ですら、労働実態を明らかにすることを拒んでいる。例えば東洋経済新報社が発刊している「就職四季報」では、企業に3年後離職率や、有給消化年平均、ボーナスの実績額などを質問しているが、メガバンクを含め多くの企業が情報開示に応じていない。採用人数すら明らかにしない企業もあるほどだ。女性活躍推進法を受けて女性社員の割合などについてデータ開示を求める機運は高まっているが、完全な情報開示には程遠く、学生が企業の労働実態を知った上で就職活動をするのは難しいのが実態だ。

――多くの学生は何も知らずに就職している…。


上西 そうした状況を改善するためにしなければならないことは山ほどあるが、中でも一刻も早い対応が必要なのは、学生に労働法の知識がない問題だ。昨今のブラックバイト問題を受けて厚生労働省も動き始めてはいるが、学校が行う一般的な就職支援やガイダンスでは労働法にかかわる事項はほとんど伝えていないのが実態だ。現状では学生はアルバイトを始める際にも労働法を知らないままに働き始めており、労働条件を書面で確認せず、口約束だけで仕事を始めることになってもおかしいと気づけない。給与の支払いを受ける時点でも残業代が適切に支払われているか判断がつかなかったり、まかないが額面から差し引かれていることに後から気づいたり、といったことも珍しくない。労働を契約と認識し、書面で契約条件を確認する習慣を身に付ける必要性がある。上司の言われた通りにやればなんとかなる、というのがこれまでの日本の考え方だったのだろうが、実際なんとかなっていないため、ブラック企業の問題が浮上している。これを改善するため、労働法を学校教育にきちんと位置付けるなどの対策が必要だが、「権利ばかり教えるのは」と経済界から抵抗があるようだ。

――ひどい話だが、会社としては嫌なら辞めろと…。


上西 そうした意見もあるのだろうが、そもそも悪いのは労働法を守らない企業であって、責任を若者に押し付けるのは歪んでいる。それに労働法を守らない企業が全体のごく一部というわけではないため、現状では転職した先もブラック企業ということになりかねない。若者の立場からすれば、簡単に辞めてはキャリアに傷がつき、円滑な転職ができなければ生活費にも困るため、ひどい企業でもなかなか辞めにくい。奨学金の返済もある。さらに、かつては労働組合が待遇改善を担ってきたのだが、ITなどの新しい業態の誕生に伴い、組合のない企業が増えている。企業側も組合の結成を妨げている場合があり、組合の社会的な影響力も弱まっている。

――具体的に必要な規制は…。


上西 決定打ではないが、まずは長時間労働の上限を定めることが必要だろう。例えばEUでは退社から出勤まで11時間置くように求めているが、日本でも同様の制度を設けてはどうか。午後10時に退社したら、翌日は早くても午後9時以降に出社させるというルールであり、さほど非現実的ではないはずだ。また、労働時間に関するルールの実効性を強めることも重要だろう。実は労働基準法は1日の労働時間は8時間までと規定している。しかし、いわゆる36協定を締結した上で特別条項を設ければ事実上無制限に労働時間を延長することができてしまう。経団連に所属しているような大企業でも、月あたりの残業時間の上限を100時間前後にしているケースが見受けられ、賃金が払われる限りはそれでも合法となっているのが現状だ。まずはこれに制限を設けることが必要だろう。

――これだけの先進国になったのだから、労働者の健康をきちんと考えるべきだ…。


上西 固定残業代については、不払いなのは違法なので争えば勝てるのだが、知識がないために誤魔化される人が多い。更に深刻なのは裁量労働制の問題で、これを適用すると残業代を支払う必要性すらなくなる。本来は業務の裁量度が高い記者やシステムエンジニアなど、極めて高い技能を持つ限定的な労働者にしか適用されないはずなのだが、企業によっては新入社員に裁量労働制を適用するケースがみられる。この場合は長時間残業が恒常化していても残業代支払い義務がない、と企業は主張することになる。

――政府はその裁量労働制の範囲拡大を目指している…。


上西 政府は課題解決型の営業についても裁量労働制を認めることを検討しているが、こうした営業には新入社員が行うものもあてはまってしまう可能性がある。このため、労働時間の上限規制がないままに裁量労働制が認められれば、月給20万円の社員に長時間労働を強いることにもなりかねない。労働規制の緩和ばかりが求められがちだが、現状では公正ではない条件で労働者が酷使されている状況が山ほどあり、違法・脱法行為の蔓延をまずは正すべきだ。

――政府は企業のことばかり考えているのでは…。


上西 労働者の福利厚生の向上のため、政府が行うべきことは多い。まず政府は、ブラック企業を辞めても労働者の生活がとりあえずは成り立つだけの社会保障を整備する必要がある。例えば、日本では引越しの際に敷金や礼金、仲介手数料などで半年分もの家賃相当額が必要になることがままあるが、こうした現状が労働者の転職活動を阻害している。例えば安価な公営住宅があれば、ブラック企業を辞めても、じっくり仕事探しができるだろう。現状では自己都合での退職には失業給付の受給までに3か月の時間がかかり、また保険加入期間も支給条件となっているため、新卒入社した企業がブラック企業だった若者がすぐに別の職探しをすることが困難だ。そのほか、一定以上の規模の企業には内定前に正確な労働条件の提示を義務化することも必要だ。学生に対しても、採用説明会で出会った先輩社員の魅力などだけで志望を左右されず、きちんと労働条件を開示している企業を優良企業として認識するよう教育すべきだろう。かつて劣悪な労働状況から労働者を保護するために工場法が制定されたが、現在、労働者が使いつぶされないための枠組みを改めて作り上げることが日本の課題になっている。