インド進出でグローバル企業に

インド進出でグローバル企業に

公益財団法人日印協会
代表理事 理事長
平林 博 氏



聞き手 編集局長 島田一

――インドに関わることとなったきっかけは…。


平林 1990年代半ばに外務省の経済協力局長(現在の国際協力局長)時代に百数十カ国の途上国の1国として付き合いがあっただけで、大使になるまでインドとの関わりはほとんどなかった。しかし、橋本龍太郎総理の下で内閣外政審議室長(現在の内閣官房副長官補)の任につき2年経過した頃、橋本総理から「インドはこれから大事になるので、大使になるならインドがよいのでは。自分も総理として必ず訪印する。」という指摘を受け、1998年3月にインド大使として赴任した。しかし、赴任後2か月した5月にインドが核実験を断行したため、日本政府として抗議したほか、ODA(無償援助と円借款)を停止するなど関係が冷却化した。その後2年間、日印関係の立て直しのために努力した。米国も2000年3月にクリントン大統領が訪印して関係を修復したので、私も小渕恵三総理に訪印を働きかけた。小渕総理は承諾したが、急逝されたので、後任者の森喜朗総理にも訪印をお願いした。森総理訪印は2000年8月に実現し、「日印グローバル・パートナーシップ」を樹立して関係を正常化した。もっとも、円借款が実際に再開されたのは、1年後のことだった。その後、「日印グローバル・パートナーシップ」は、小泉純一郎総理時代に「戦略的グローバル・パートナーシップ」に、次いで安倍晋三総理になって「特別戦略的グローバル・パートナーシップ」に格上げされ、現在に至っている。そういった経緯もあり、森元総理と私は、日印両国政府から「新しい日印関係を構築した人」という評価を光栄にも頂き、二人とも退官後、それぞれ日印協会会長、理事長として日印関係増進に努力している次第である。

――日印協会は創立113年という長い歴史がある…。


平林 2007年に外務省を退官後、森元総理から要請を受けて現職に就くこととなった。それまでは専務理事が取り仕切っていたが、森会長は理事長職を設け、私を迎えた。日印協会は今年で創立113年の由緒ある歴史があるものの、私が就任直後は法人会員は30社程度、活動も最小限という組織の弱体化に直面していた。そこで、私は駐印、駐仏大使を含め外交官として長年に渡って築いてきた政財界の人脈を頼って、組織の立て直しを図り、現在、法人会員は120社程度、個人会員500人弱までに拡大した。日印協会は、日清戦争開始の1年前の1903年、元首相の大隈重信と資本主義の父といわれる澁澤栄一、それに元細川藩の分家・長岡護美が「これからはアジアの時代だ。インドはますます重要になる。」との理念を共有し創立した。この種の国際交流・有効増進を目的とする公益団体は数多いが、そのなかでは最も古い歴史を持つ。ちなみに日英協会が創立されたのが1908年であることから、植民地インドとは宗主国イギリスよりも5年早く友好協会を築いていたことになる。

――活動内容は…。


平林 インドと日本に関係することには、ほぼすべて携わっている。インド情勢の収集・分析・評価、日印の各種交流の主催ないし支援、またインド首相が訪日する際や大使交代の際には歓迎レセプションを催している。また、最近ますます盛んになってきている青少年交流などの人的交流や文化交流も推進ないし応援している。他方では企業支援も行っている。日印協会の会員企業のみならず会員でない日印各企業への情報提供やアドバイスである。講演会も組織する。幸い、日印両国に人的ないし組織的ネットワークを広範に持っているので、我々でできないことは両国の大使館・総領事館、JETRO、JICA、JBIC、国際交流基金といった政府関係機関、経団連や日印経済委員会などに協力を要請するなどし、支援している。このほか、インドや日印関係に関しホームページを運営し、啓発活動にも注力している。1906年に創刊した会報は今日でも月刊誌「月刊インド」として継続しているほか、学者や研究者に論文を書いてもらう専門的な季刊誌「現代インド・フォーラム」も発行し、インドの事情について広報活動を行っている。

――モディ政権の成果は…。


平林 今までの政権に比べれば、遥かに改革志向だと言える。また、リーダーシップも強力なものだ。インドは万事歩みが遅いと言われているが、インドの基準に照らしてみれば、非常に改革マインドが旺盛でしかも実行力がある。日本を含め企業のインドでの事業活動における一番の障害となっていた懸案の物品・サービス税(GST)の統合のための憲法改正に成功し、今は法律や政令、施行規則を取りまとめている。うまくいけば来年春頃には、各州によってバラバラだった税率が一本化される。もっとも完全に一本化されるわけではなく、州ごとに多少のバリエーションは出てくると見られるが、基本的には統一される。さらに労働法制の緩和や土地収用の緩和などにも取り掛かっている。他方、日印関係についてはすでに相当密接な関係が構築されているが、モディ首相と安倍首相は波長が合うことから、11月中旬のモディ首相の訪日でも様々な成果が期待されるところだ。

――日系の進出企業は苦労していると聞くが…。


平林 やはりインド人は交渉相手としてもパートナーとしても「タフ」であることから、大企業ですら苦労している。最も成功を収めているスズキも、今日に至るまで苦労を重ねてきた。私は駐印大使をしていたころ、スズキと合弁相手のインド政府とが社長人事で争いになって、スズキ側がロンドンの国際仲裁裁判所に提訴した。結果は足して2で割ったような和解解決、すなわち社交の任期5年を二つに分けて、インド側と日本側が2年半の任期の社長を任命することになった。また、第一三共も買収したランパクシーと結局うまくいかず、別のインド製薬会社に株を売って撤退した。さらに最近では、NTTドコモによるタタテレサービスズとの合弁事業も出だしはよかったものの、その後うまくいかずに解消した。しかし、保有株式の引き取りに関してロンドンの国際仲裁裁判所がドコモ側の勝訴の採決を下したものの、タタ側が言う通りにせず、現在、NTTドコモ側はインドの裁判所に訴えている最中と理解している。このように、撤退についても、必ずしもうまくいくとは限らないといった非常に厳しい事業環境にあると言える。

――事業成功の秘訣は…。


平林 一言でいえば、インド人をよく理解することだ。極端な事を言えば、「日本人のアジア人観」というのは、私から言わせてもらえば「東南アジア人観」に過ぎない。ところがインド人は東南アジア人とは相当異なり、欧米人のような合理的かつビジネスライクな思考回路を持っている。さらに生活・生存環境が厳しいことから、欧米人よりもよりシャープな思考回路や厳しい交渉態度を持っていると言える。契約は一応尊重するが、ぎりぎり自分に有利なように解釈する。したがって、契約はきっちりしたものにする必要がある。また、係争になっても容易には白旗を掲げない。穏やかな気候で育っている日本人、同質性の強い社会で生活している日本人にとって、最も苦手な相手だと言える。東南アジアで通じるやり方は、インドでは必ずしも通用しない。そのため、インド人を理解しタフな交渉なども覚悟していかなければ、失敗、失望するだけだ。このことは、インドにおいて各社の代表や従業員として第一線に立っている日本人の皆様には分かることだが、往々にして現地を知らない本社の社長や幹部は理解しない。ましてや、インドの経営は、トップダウンである。このようなことから本社の社長が直接インドに行き、インド企業トップと接する必要がある。最近は、スズキの鈴木修会長はもとより、ソフトバンクの孫社長やユニクロの柳井社長、三菱商事の小島前会長、三井物産の飯島会長などにみられるように、会社トップが自らで現地に行くことが多くなった。それが最もインドでうまくいく方策だ。日本的なやり方や思考では通じない。本当の意味でグローバル企業になるためには、インドのような厳しいところで揉まれ、自らを進化させていくことが大事ではなかろうか。ただ、私が自信を持っていることは、インド人は親日的であり、日本や日本人を高く評価していることだ。