山一証券破たんの真相(下)

山一証券破たんの真相(下)

元大蔵省証券局審議官(東証監理官)
河上 信彦 氏



聞き手 編集局長 島田一

*【注】組織名、肩書き等はいずれも当時のものです。

――当時を振り返り、なぜ自民党の加藤幹事長は大蔵省に「前に出るな」と指示したのか…。


河上 理由は不明だが、私の印象としては加藤紘一氏は大蔵省の金融部局の分離に積極的であった。新聞報道によると、加藤氏は金融機関の検査・監督部門を分離した後の大蔵省に残った金融企画局も引きはがそうとしていたようで、大蔵省には厳しい態度を取っていた。また、当時の橋本総理は以前に大蔵大臣も務めていたが、主計や主税など財政部局等とうまく折り合わないこともあったりして、橋本氏のような人物にとっては不愉快なこともあったのだろう。橋本氏と加藤氏の関係は承知していないが、いわば「大蔵省嫌い」という面で波長が合ったのではないかと考えている。

――当時の大蔵事務次官の対応は…。


河上 当時の大蔵事務次官は小村武さんだった。小村さんはそもそも金融監督庁の設立に反対していたが、事務次官としては大蔵省からさらに金融企画局も引きはがすことにも強く反対意見を唱えていたようだ。三洋証券の破たんに話を戻すと、生命保険会社に劣後ローンを更新してさえもらえれば、破たんを回避することは可能であった。こうしたなか、産経新聞に証券局が生命保険会社の劣後ローンのロールオーバーに向けて動いているといった記事が掲載され、これを見た小村事務次官は山本証券局審議官を呼びつけて厳しく叱責した。つまり、大蔵省が組織の問題で大変な状況にあるなかで、勝手な行動を取るなということだ。ただ、私は小村事務次官のこの姿勢はおかしいと言わざるを得ない。大蔵省の組織問題は割り切ってしまえば大蔵官僚の私的な利害に過ぎないが、三洋証券の破たんは世の中に大きな影響を及ぼす問題だ。この2つを同じ物差しでとらえ、なおかつ大蔵官僚の私的な利害を優先させるという小村事務次官の姿勢は間違っていたと言わざるを得ない。山一証券の問題についても、長野証券局長が小村事務次官に11月17日月曜日までに自主廃業の可能性を含めた状況報告を行っていたと思われるが、大蔵官僚の利害を優先する小村事務次官はもはや「大蔵省官僚の利害よりも山一証券の破たんを防ぐことが社会全体としてはより重要だ」と言うことは出来なかったのではないか。

――山一証券には自主廃業以外の道は残されていなかったのか…。


河上 自主廃業は不可避の道であったように思われる。1997年8月には山一証券の経営陣が交代し野澤正平氏が社長に就任した。その過程でメインバンクの富士銀行に資金繰りの相談をしたが、富士銀行としては応分の対応はするとの反応だった。つまり、他の銀行が山一証券に融資をするならば自分たちも同様に対応するが、それ以上の行為は一切しないという意思表示であり、メインバンクからも協力を拒まれた山一証券の資金繰りは次第に厳しくなっていく。山一証券は欧州に活路を求め、自らを救済してくれる銀行や証券会社がないか交渉していたが、「白馬の騎士」は見つからず、逆に山一証券の資金繰りが厳しいということを自ら海外で言いふらすことになってしまった。市場は山一証券への対応を厳しくし、ロンドンで資金調達が出来なくなった山一証券は系列会社から資金を回そうとしたが、前述したようにこれも現地法人の上層部によるBOEへの情報提供で不可能となってしまった。

――大蔵省が救済に動くことも難しかったか…。


河上 大蔵省は一連の証券不祥事、住専問題、大蔵官僚の不祥事などで世間からバッシングを受け、金融の検査・監督部門を分離して金融監督庁を作らざるを得なくなるほどに弱体化していた。1997年当時は金融企画局も切り離すよう求められており、大蔵省としては山一証券を救いたくてもなかなか行動できるような状況ではなかった。さらに、橋本内閣は金融ビッグバン構想を打ち上げており、証券行政としては市場原理や業者の自主性の尊重、タイムリーディスクロージャーの充実という方向に向かっていた。1965年に山一証券に日銀特融が行われた際には、証券行政として資金の融通をつけたりパートナーを見つけたりする時間がまだあったが、今回については時代の空気のなかでこうした対応を取ることは難しくなっていた。

――やはり自主廃業以外の道は見つからなかったと…。


河上 山一証券を救うための手段は全く何も無かったかと問われれば、可能性としては、財務省が持っている財政法第44条に定める「特別の資金」を使うことはできたかもしれない。資金は予算とは異なりいわば現金の塊で、行政がかなり自由に使うことが可能であり、こうした観点からすると大蔵省は財政融資資金と外国為替資金の2つの資金を持っている。このうち特殊法人や地方公共団体への貸付を目的とする財政融資資金は保証機能が無いので使いにくいが、外国為替資金には外貨借り入れへの保証機能がある。この外国為替資金から山一証券に数兆円(数百億ドル)程度の保証を付ければ、山一証券はこの信用力をバックに民間から外貨を取り入れスワップを組むことにより円貨を取り入れることが可能となり、それでもまだ資金調達が出来ないのであれば外国為替資金から直接またはメインバンクの富士銀行を経由して山一証券に融資することが考えられる。ただ、これは外国為替資金の専門家である私だからこそ現在思いつく方法であり、当時の事務次官等にこのような発想が出来たとは思えない。また、加藤紘一自民党幹事長から「大蔵省は前に出るな」と警告されている状況下では、思い切った手段に出ることはなおさら難しかっただろう。結局救済手段は無かったということになる。

――その後の山一証券の清算については…。


河上 山一証券の清算処理には私が担当者として関与した。山一証券への日銀特融では一時1兆円を超える融資が行われたが、最終的には日銀が2001年度決算で1000億円超の貸倒引当金を計上して処理した。この分日銀からの国庫納付金が目減りするため、巡り巡って政府がこれだけの負担をしたことになる。この間、山一証券が2000億円超の転換社債を現金で債券保有者に償還したことに対する批判もあった。たしかに、2000億円超の現金があれば、数字上は日銀の損失を穴埋めし、さらに債権者にも相応の配当ができたということになる。しかし、なぜこうなったかというと、転換社債の約款に期限の利益を喪失した場合、つまり一定期間内に株式に転換できなくなった場合は現金で償還するとの条項が入っていたためだ。山一証券の破たん処理では法律の専門家にも監査顧問委員会に加わってもらったが、ここでも約款にそうした条項があることを確認しており、法律的には文句を付けられるような話ではない。このため、山一証券の破たん後、この約款に着目して転換社債を買い集め、大きな利益を上げた金融の専門家もごく少数ながらいるようだ。他方転換社債の売り手もプロなのだから甘かったということだ。

――山一証券の問題を巡る証券行政の反省点は…。


河上 大蔵省は証券会社の健全性確保の観点から検査を行っていたが結果的に機能しておらず、取引の公正性の確保から検査を行う証券取引等監視委員会を含めて「飛ばし」の実態を全く分かっていなかった。この点に対して世間からの厳しい批判はあった。「飛ばし」では山一証券本体が特定金銭信託のスキームを使って信託銀行に債券を購入させ、これを子会社に貸し出し、子会社が現先取引で債券をキャッシュに変えて山一証券の取引先から簿価で株式を引き取り結局損失補填をしてしまった。こうした取引実態を踏まえると、銀行は保有する金融資産を毎日値洗いして時価評価を行っており、証券会社でもこの時価評価を導入していれば「飛ばし」が早期に顕在化した可能性もある。さらに、実質的に見れば「飛ばし」に関わっていた会社は当然ながら山一証券の関連会社であり、単体決算ではなく連結決算を行っていれば監査法人や当局が含み損を見つけることも可能だったはずだ。後知恵になるが、私は当時の証券行政としてやれることが全くなかったわけではないと考えている。ただ、現実の問題として考えると、金融資産の時価評価や連結決算といった措置を導入することについては反対意見もそれなりにあったのだろうから、導入自体容易ではなく、結局先送りになり、平成9年という金融市場全体が厳しくなっていた時に問題が爆発してしまったのだ。こうした歴史に鑑みれば、先送りは確かに行政にとり一つの知恵なのだが、問題を把握したならその問題の一部でも、そして、できるだけ早期に見直しを図るということが必要なのだ。それとともに、金融危機のときは短期の金融市場は機能しなくなってしまうのだから、金融機関の破たん処理にあたっては、現実には非常に難しいとしても、短期金融市場でドライ・アップといわれる現象ができるだけ生じないようにという細心の配慮が必要だ。(了)

*国際金融局為替資金課長、理財局国債課長、国税庁税務大学校長などを歴任。
著書に『外国為替資金特別会計制度』(文芸社 2016年)がある。